民数記第七講話

ミリアムの重い皮膚病

再びエチオピアの女性と、ミリアムの重い皮膚病とに関するその他の事柄

 

 「それらのことはすべて、象徴として彼らに起こったのであり、私たちのための教訓として書き記されたものです[1]」と使徒が言っているように、いま私たちのために朗読された言葉、すなわち「アロンとミリアムは、モーセのことで悪口を言いました[2]」が、そのことで譴責され、その上、ミリアムは「重い皮膚病[3]」にもかかったことから、どのような教訓を私たちは得るかことができるか、私は探求したいと思います。この譴責の措置は重大で、ミリアムの重い皮膚病の七日間が満ちるまで、神の民は約束の地への旅することができず、証の幕屋も移動されませんでした。

 以上の事実から私が引き出す教訓――有益で必要な教訓は、私が「兄弟の悪口を言わない[4]」こと、私が私の隣人について悪く言わないこと、聖なる人たちに対してばかりでなく、私のどのような隣人に対しても、貶すために私の口を開くべきでないことです。なぜなら私は、この件に関する神の憤りがどれほど大きいものであったか、そして、どのような仕打ちが為されたかが分かっているからです。実際、『詩篇』の中でも神は、この(種の)罪に対して似たような憤りを示し、次のように言っているのを、私たちは見ます。すなわち、「あなたは座り、あなたの兄弟に対して悪く言い、あなたの母の子に対して躓きの石を置いた[5]」と。同様に他の詩篇でも、悪口を言うことがどれほど甚だしく神を不快にさせるかを知っている義人(ダビデ)の口を借りて、次のように言われています。「隣人に対して密かに悪口を言うものを、私は追跡した[6]」。ですから私たちは、神的な書物のこれらすべての言葉を「ある両刃の剣[7]」のように使うことによって、兄弟たちを悪く言い、聖なる人たちを貶すという悪徳を切断することにしましょう。なぜなら、貶す人たちや悪口を言う人たちには、重い皮膚病が生じるからです。



[1] 1Co.10,11.

[2] Nb.12,1.

[3] Nb.12,10.

[4] Ps.49,20.

[5] Ps.49,20.

[6] Ps.100,5.

[7] Ap.1,16.