15 私たちは、他の個所にも、唾を意味する言葉があるのを知っています。イザヤは、次のように言っています。「諸国のすべての民は、桶の滴のように、唾のように見なされた[1]」。この言葉によって、あの民は、「唾のように見なされる」他の諸国の民と同様に捨てられたことが示されます。まことに、もしもあなたが、あの民のかつての栄誉を考えるなら――あの民の許で大祭司の身分が威光を放ち、祭司たちの数々の襟章やレビ人たちの数々の職務が威光を放っていたとき、神殿の厳かさや預言的な栄華が威光を放っていたとき、彼らが地上にいながら天上的な交わりを享受していたとき、あの民には何という栄誉が、何という栄光があったでしょうか。ところが、もしもあなたが今、彼らがどれほど大きな不名誉に怯えているかを顧みるなら――彼らには、神殿も祭壇も、生け贄も預言者も、祭司職も、天上からのいかなる訪れなく、彼らは、全地に散らされ、難民として生活しています――、「彼女の父は、彼女の顔に唾を吐き」、彼らの顔に恥を注いだことを、いったい誰が明瞭に知らないと言うでしょうか。



[1] Is.40,15.

 

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