20 しかし、あなたは、彼らが巨人であるのをお知りおきください。神に逆らうすべての者が、「巨人」と言われます[1]。したがって、神に敵対し、真理に反対する人は誰でも――これは、彼らが第一に行なうことです――、当然のことながら「巨人」と呼ばれます。ですからあなたは、巨人たちを追い出し、彼らの国に入るように迫られています。「誰が巨人から諸々の戦利品を受け取るだろうか[2]」と言葉は、そのような人たちの誰かについて書かれているのではないでしょうか。彼について主も、福音の中で言っています。「強い者の家に入り、彼の諸々の家具を奪うことができる者は誰もいない――あらかじめ彼を縛っておかなければ[3]」と。

 ですから、人間の本性と巨人の本性を比較するかぎり、私たちは「いなご」であり、彼らは「巨人」です[4]。とりわけ、私たちの信仰が疑わしく、不誠実が私たちを怖気づかせているときには、彼らは本当に「巨人」であり、私たちは「いなご」です。しかし、もしも私たちが、ヨシュアに従い[5]、彼の諸々の言葉を信じ、彼の信仰に満たされるなら、彼らは、私たちの前では何者でもありません。実際、どのようにしてヨシュアが私たちを励まし、次のように言っているか、あなたはお聞きください。「もしも神が我々を愛しているなら、神は我々をあの土地に導き入れてくれるはずである[6]」、なぜならあの土地は善く、その実りはすばらしいからであると[7]



[1] Cf.Nb.13,33; Com.Ct.III,14,28(SC 376,671):「真の巨人は、神にさえも背く悪魔の他に誰がいるだろうか」。

[2] Is.49,24.

[3] Mt.12,29.

[4] Nb.13,33. 「彼ら」は、前段落の「神に逆らうすべての者」をさしている。

[5] sequamr Iesum:もちろん「イエスに従い」と訳すこともできる。

[6] Nb.14,8.

[7] Nb.14,7.

 

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