21 こうして、父祖たちの内に先行した雛型と概形[1]は、私たちの内で成就します。父祖たちは、異邦人たちを追い出し、彼らの嗣業地を獲得しました。父祖たちは、ユダヤの全地とエルサレムの都とシオンの山を獲得しました。これらのことが彼らにおいて成し遂げられました。しかし、あなたにとっては何が言われるのでしょうか。(聖書は)「あなた方は、目に見える諸々のものに」ではなく、「目に見えない諸々のものに近づいた[2]」と言っています。実際、「あなた方は、生ける神の山、天のエルサレムの都、多数の天使たちの許へと近づいた[3]」と(聖書は)言っています。しかし、他の個所でも同じ使徒は言っています。「上方にあるエルサレムは自由(の都)である。それは、私たちのすべての母である[4]」と。もしも誰かが、「天のエルサレムは存在する」と言う使徒の諸々の言葉に信用を置かないなら、その人は、我々のこれらの言葉をも斥けることができます[5]。しかし、もしもパウロの諸々の言葉に信用が帰されるべきであるとすれば――確かに帰されるべきですが――、私たちは、この地上の(エルサレムの)雛型に即して、「天のエルサレムが存在する」ことも信じます。私たちは、この地上の(エルサレム)に関して書き記されているように見える事柄を、霊的理解によってより正しく、あの天のエルサレムに差し向けるでしょう。私たちは、パウロが言うように、「天のエルサレムに近づきました」。疑いもなく、天のユダヤにも近づきました。そして、彼らが地上のユダヤから、カナン人たちとペリジ人たちとエベ人たちとその他の異邦人たちを追い出したように[6]、「神の山」と天の諸々の国とに近づいた私たちも、逆らう権能たちをそれらの国から追い出し、「邪悪の霊たちを諸々の天から[7]」放逐する必要があります。彼らがエルサレムからエブス人を追い出して[8]、以前はエブスと呼ばれていた都市が、後にエルサレムと呼ばれたように[9]、私たちも先ず、エルサレムからエブス人を放逐し、その上でその嗣業地を獲得すべきです。ただし、彼らは、目に見える数々の武具によって以上のことを行いましたが、私たちは目に見えない数々の武具によって(それを行うべきです)。彼らは、諸々の身体的な戦闘によって勝利を収めましたが、私たちは、霊的な戦いによって克服します。



[1] typusfiguraを、それぞれ「雛型」(これは原型ではない)、「概形」と訳している。

[2] Col.1,16.

[3] He.12,22.

[4] Ga.4,26.

[5] オリゲネスの思弁は、常に一貫して、信仰を前提にしている。

[6] Cf.Jos.9,1s.

[7] Cf.Ep.6,12.

[8] Cf.2S.5,6.

[9] Cf.Jos.18,28.

 

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