もちろんミリアムは、司祭アロンの執り成しにより、七日目に癒されました[1]。しかしもしも私たちが、誹謗の悪徳によって魂の皮膚病に陥ったなら、私たちは、世の七日間[2]の終わりまで、すなわち復活の時まで、魂の内で重い皮膚病にかかったままであり、穢れたままでしょう――もしも私たちが、悔い改めるべき時があるにもかかわらず、矯正されて主イエスに立ち返えり、悔い改めによって彼に嘆願し、私たちの重い皮膚病の穢れから清められないなら。しかし、私は次のように考えています。すなわち以前の民や、先に私たちが触れた異端者たちだけが、「モーセの悪口を言っている[3]」のではありません。むしろ、彼の諸々の書物を悪く理解する人や、霊的な律法を肉的に受け取る人も、「モーセの悪口を言っています」。なぜなら彼は、例の諸々の言葉を人々に肉的に教えているからです。

 あなた方は、誹謗する人たちや悪口を言う人たちがどのような裁き、どのような断罪を身に受るかを聞きました。今度は彼らが、誹謗する相手の人たちにどれほど多くの利益をもたらすかを、あなた方はお聞きください。モーセが人々から悪口を言われたとき、次に語られる諸々の賛辞ほどみごとなものを、神がそのしもべモーセに語ったのを、私たちは見出したことがありません。



[1] Cf.Nb.12,15.

[2] septimana mundi; cf.Hom.Nb.,VI,13(拙訳).

[3] Nb.12,1.

 

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