しかしながら、モーセがエチオピアの女性を受け取る以前は、神が彼に「謎の内にではなく、真相の内に」語ったとは書かれていません。彼がエチオピアの女性を受け取ったとき、神は彼について、「私は彼に、口から口へ、謎の内にではなく、真相の内に語る[1]」と言っています。たしかに近頃、モーセは私たちの許に来たり、この私たちのエチオピアの女性[2]と一つに結ばれました。神の律法は、以前のように諸々の象徴と謎の内で知られるのではなく、真理の真相の内で知られます。以前は謎の内に示された諸々の事柄が、今や真相と真理の内に成し遂げられます。それゆえ、諸々の象徴と謎とに関する諸々の真相を論じる人は、次のように言っています。「私たちは次のことを知っています。私たちの父祖たちは皆、雲の内にいました。モーセに従っていたすべての人たちは、雲と海の中で洗礼を受けました。すべての人たちは、同じ霊的な食べ物を食べました。すべての人たちは、同じ霊的な飲み物を飲みました。実際、彼らは(自分たちの)後をついてきた霊的な岩から飲みました。ところでその岩は、キリストです[3]」と。あなたは、どのようにしてパウロが、律法の謎に決着をつけ、諸々の謎の数々の真相を教え、次のように言ったかお分かりでしょう。「モーセがこの私たちのエチオピアの女性と結ばれる前は、岩は謎の内にモーセの許にあった」とパウロは言っています。今や真相において、「岩はキリストです」。なぜなら今や、神は、律法を通して「口から口へ語る」からです。以前の洗礼は、「謎の内に」、「雲と海の中に」ありました。しかし今は、「真相の内に」、「水と聖霊との内に再生(の洗礼)があります[4]」。当時、マナは、謎の内にある食べ物でした。しかし今や、その真相において、髪のみ言葉の肉が「真の食べ物」です。それは、神のみ言葉がご自身が言っているとおりです。こうあります。「私の肉は、真に、食べ物である。私の血は、真に、飲み物である[5]」と。ですから、こうして、今や私たちの許の置かれ、このエチオピアの女性と結ばれたモーセは、彼自身が私たちに対してであれ、神が彼に対してであれ、「謎の内に語ることはなく」、「真相の内に」語ります。



[1] Nb.12,8.

[2] nostra Aethiopissa:異邦人(諸国の民)の教会を象徴している。

[3] 1Co.10,1-4.

[4] Tt.3,5.

[5] Jn.6,55.

 

次へ