しかし、それらのことは、いま申したように、「神のみ手の内に[1]」あります。私たちのなすべきことは、もっと速く矯正に向かい、とぼけることなく悔い改めへと向かい、過去の諸々の事柄を嘆き、将来の諸々の事柄に備え、神の助力を呼び求めることです。確かに、あなたは改心して呻くなら、直ちに救われるでしょう[2]。なぜならあなたは、「あなたのために父に執り成してくださる弁護者、主イエス[3]」を見出すからです。彼は、モーセよりもはるかに際立っていましたが、モーセも、「あの民のために祈ったとき[4]」、聞き入れられました。それゆえ、モーセが以前の民の諸々の罪のために仲介し、赦しを得たと書かれているなら、なおさら私たちは、「私たちの弁護者であるイエス」が、疑いようのない赦しを父から得てくださることを信じるべきでしょう。ただし(そのために)、私たちは、彼に向き直って、「私たちの心が後ろに退かないように[5]」しなければなりません。それは、ヨハネがその書簡の中で言っているとおりです。こうあります。「しかし、小さな子たちよ、私がそれらのことを語るのは、あなた方が罪を犯さなくなるためです。しかし、もしもあなた方の誰かが罪を犯しても、私たちには、父のの許に弁護者、正しい方、イエスがいます。彼は、私たちの諸々の罪のために執り成してくださるでしょう[6]」。彼に、「栄光が代々とこしえにありますように。アーメン[7]」。



[1] Ps.74,9.

[2] Cf.Is.45,22. Cf.Hom.Ez.VI,9(拙訳).

[3] 1Jn.2,1;cf.Rm.8,34.

[4] Cf.Nb.21,7.

[5] Ps.43,19.

[6] Jn.2,1-2.

[7] 1P.5,11.

 

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