11 「主は、モーセとアロンに語り、次のように言われた。『あなた方は、この会衆のただ中から離れなさい。私はすぐに彼らを滅ぼす』[1]」と。ソドムという大都市に住む人たちが何とか救われるように、少なくとも十人がソドムの人たちの内に捜し求められました[2]。そのとき、モーセとアロンのような人が見出されたなら、二人で十分だったでしょう――イスラエルの人たちのすべてが救われるには。彼ら二人の内に、何がいっそう豊かにあると、私たちは言うべきでしょうか。どれほど大きな徳が、どれほどの功績があって、それによって六十万の人々が破壊者による滅びから、よりよく解放されるのでしょうか。私は次のように思っています。モーセの内に律法が意味されています。その律法は、神の覚知と神の愛とを人々に教えます。アロンの内に、神に祈り嘆願する雛形があります。ですから、神が私たちやすべての民に対して憤る時があっても、すでに仕打ちの判決が神から下されており、神の律法が私たちの心の中に再び現れ、その律法が私たちに警告し、悔い改め、諸々の過ちに応じた償いをし、諸々の罪のために嘆願するように教えているのであれば、ただちに怒りは止み、憤りは収まり、主は宥められるでしょう――あたかもモーセとアロンが私たちとすべての民のために執り成し、嘆願してくれたかのように。



[1] Nb.17,9-10.

[2] Gn.18,32.

 

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