15 律法は、それを肉的に解釈する人たちに対してのみ旧約になります。その当然の結果として、律法は、彼らにとって古いものとなり、老化しました。なぜなら律法は、その諸々の効力を保持できないからです。しかし、律法を霊的に、かつ、福音的な意味において理解し説明する私たちにとって、それは常に新しいものです。両者は、私たちにとって新約です――時間の日付においてではなく、理解の新しさにおいて。使徒ヨハネも、その書簡の中で、同じことを考えているのではないでしょうか。彼は言っています。「小さな子たちよ、私は、あなた方に新しい掟を与えます。すなわち、あなた方は互いに愛し合いなさい[1]」と。彼は、愛の掟が昔、律法の中で与えられていたのを知っています[2]。しかし、「愛は決して滅びません[3]」し、愛の掟がいつかあるとき古くなることもありませんから、彼は、決して古くならないものは、常に新しいと表明します。実際、愛の起きては、それを遵守し守る人たちを霊において常に新しくします。これに対し、愛の諸々の契りを守らない罪人にとって、諸々の福音は古いものとなります。「古い人を脱ぎ捨てて、神の即して造られた新しい人を着[4]」なかった人にとって、新約は存在することができません。



[1] Cf.1Jn.2,8 et 3,23.

[2] Cf.Lv.19,18.

[3] 1Co.13,8.

[4] Ep.4,22.24.

 

次へ