主は、ある箇所で、預言者を通して明白に言っています。「私の諸々の意図は、あなた方の諸々の意図のようではなく、私の諸々の思いは、あなた方の諸々の思いのようではない[1]」と。もしも今日、以上の諸問題が人々の許で裁かれるとします。また、たとえば、諸教会(の教え)とは異なる諸々の事柄を教えた人々に関して、諸教会の長たちの許で審議が行なわれ、彼らが神的な裁きに服することになったとします。そのとき、彼らが何かを語ったとすれば、何かを教えたとすれば、さらに何かを書き残したとすれば、それらは彼らの遺骸とともにことごとく破棄されると判断されるのではないでしょうか[2]。しかし、神の諸々の判断は、私たちの判断のようではありません。実際、あなたは、神の預言者に逆らった者たちの諸々の香炉から、「諸々の板[3]」を造り、祭壇の周りに打ち付けよという命令がどのように下されたかをお聞きください。コラは、教会の信仰と真理の教えに反抗する者たちの象徴を含んでいます。コラと彼の仲間について、彼らは、諸々の青銅の香炉によって、「無縁の火[4]」の香を奉げたと書かれています。その無縁の火は、神によって撒き散らされるように命じられました。「しかし諸々の香炉は、聖なる物とされている。それゆえあなたは、それらから諸々の柔らかな板を作り、それらによって祭壇の周りを囲みなさい。なぜなら、それらは神のみ前に奉げられ、聖なる物とされているからである[5]」と(聖文書は)言っています。この象徴によって次のことが明示されているように私には思えます。すなわち、()文書が「青銅の」と言っているそれらの香炉は、神的な文書の象徴を含んでいるということです。異端者たちは、その文書に「無縁の火」、すなわち、神とは無縁で真理に反する意味と理解とを持ち込み、甘美な香りではなく、不快な香りを神に奉げます。それゆえ、諸教会の祭司たちに、教訓が与えられています。もしもある時、そのような何らかの反逆があったとき、真理とは無縁な諸々の事柄は、たしかに神の教会から完全に抹消されるべきです。しかし、異端者たちの諸々の言葉それ自体の中に、神的な文書の諸々の意味に由来する諸々の事柄が混ぜられているのが見出されるなら、それらの事柄を、真理と信仰とに反する諸々の事柄とともに破棄されてはなりません。なぜなら、神的な文書にからもたらされた諸々の事柄は聖なる物にされているとともに、主に奉げられているからです。



[1] Is.55,8-9.

[2] これが、オリゲネスの時代(あるいはルフィヌスの時代)の、いわゆる「異端者たち」に対する、原始正統派の人たちの一般的な扱い方だったのかもしれない。

[3] Nb17,3.

[4] Nb.26,61.

[5] Nb.17,1-3.

 

次へ