21 「放逐は止んだ[1]」とあります。あるいは、他の諸々の写本の中で読まれていると私たちが述べたように、「粉砕」が止んだとあります[2]。この語は、真理の解釈にいっそう適しているでしょう。実際、「粉砕」は、「土の諸々の器」において行なわれるようなものだからです。すなわち、罪びとたちは、「諸々の土の器」です。それは、預言者エレミアが『哀歌』の中で示している通りです。彼は言います:「ほまれ高く、金にまで高められたシオンの子らよ、なにゆえあなた方は、土の諸々の器、陶工の諸々の手の諸々の業と見なされたのか[3]」。使徒も言います:「大きな家の中には、金や銀の諸々の器ばかりでなく、木や土の諸々の器もあります。それらの一部は名誉のために、一部は軽蔑のためにあります[4]」と。ですから、土の諸々の器は軽蔑のためにあり、それらは、場合によっては粉砕されます。



[1] Nb.17,15.

[2] 「放逐」の原語はvastatio、「粉砕」の原語は confratioである。

[3] Lm.4,2.

[4] 2Tm.2,20.

 

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