28 このように、すべての()文書には、そのような三重の神秘の理拠が行き渡っています。同様に知恵も、次のように勧告しています:「私たちに詰問する人たちに真理の言葉で応えるために、それらの事柄を私たちの心に三重に書き記すように[1]」と。同様に族長のイサクも、三つの井戸を掘りました。それらの内の三番目の井戸だけが、彼によって「広さ」ないしは「大きさ」と名づけられました[2]。他方、アーモンドの杖は祭司に関する神秘をなしているので、アロンから出た祭司たちの一人でったエレミアも、「アーモンドの木の杖を見て[3]」、「アーモンドの木の杖」についてであれ、「大釜」や「火の点いた甕[4]」について書かれている諸々の事柄に関して預言したと、私は思っています――まるで彼は、それらの事柄によって、アーモンドの木の杖の内に命があり、火のついた大釜の内に死があることを示しているかのように。実際、「私たちの前には、生と死が置かれています[5]」。実に命は、「アーモンドの木」の神秘におけるキリストです。それに対し、死は、「火の点いた大釜」の象徴における悪魔です。ですから、もしもあなたが罪を犯したなら、あなたの分け前は「火の点いた大釜」であるとお考えください。しかし、もしもあなたが正しく振る舞ったなら、あなたは、「アーモンドの木の杖」の内に、大祭司と分け前を共にすることになります。『雅歌』の中でも、花嫁が「アーモンドの木の園へ降った[6]」と言われています。そこで彼女は、祭司に関わるアーモンドの木々とともに、ある意味で祭司に関わる豊かな諸々の実を見つけたと述べられています。



[1] Pr.22,20-21.

[2] Cf.Gen.26,15-22.

[3] Jr.1,11.

[4] Jr.1,13.

[5] Dt.30,15.

[6] Ct.6,11.

 

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