30 私たちがいま話題にしている()文書の言葉には、次のような言葉があります。すなわち、「私が選び出した人間がいるだろう。彼の杖は芽生えるだろう[1]」。神が約束したのは唯一つ、「(神が)選んだ彼の杖は芽生えるだろう」ということだけです。ところが、実際にはどうかというと、約束されたことが実現されたことが明示される段になると、約束されたことがだけが実現したとは言われていません。どれほど多くの事柄が付け加えられているか、あなたはご覧ください。こう言っています:「見よ、レビの家でアロンの杖が芽生えた[2]」とあります。この一事は疑いもなく、約束された事柄です。しかし、他の諸々の事柄も付け加えられ、こう言われています:「そしてそれは、諸々の葉を茂らせ、諸々の花を咲かせ、諸々の(アーモンドの)実を生じさせた[3]」と。ですから、発芽についてだけ約束されていたのに、神がどれほど多くのことを惜しみなく与えた下さったか、あなたはご覧ください。神は、諸々の芽ばかりでなく諸々の葉を、諸々の葉ばかりでなく諸々の花を、諸々の花ばかりでなく諸々の実をもたらしました。私たちが、それらの言葉から集め、熟慮すべきものは何でしょうか。第一に、すべての人たちの死者たちからの復活の神秘です。なぜなら、干からびた「杖が芽生える」のは、生気を失った体が息を吹き返すときだからです。ところで、復活した身体に与えられるあの四つの事柄は、どのようなものだったでしょうか。「腐敗の内に蒔かれたものは、不滅の内に再起します。弱さの内に蒔かれたものは、強さの内に立ち上がります。恥辱の内に蒔かれたものは栄光の内に立ち上がります。魂的な身体として蒔かれたものは、霊的な身体として立ち上がります[4]」。それらの四つが、私たちの身体という干からびた杖が、復活の時に芽生えさせるものです。



[1] Nb.17,20.

[2] Nb.17,23.

[3] Nb.17,23.

[4] 1Co.15,42-44.

 

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