私たちは、断罪された人々の諸々の香炉について――それらは(引き伸ばして)祭壇に貼られるように命じられています――以上のことを述べました。すなわち、義人たちは、より劣った人たちとの比較によって、一層輝いて現れると。同時にそれは、後の人たちのために模範が与えられるためでもありました。高慢な精神の思い上がりによって、司教の役務を神から与えられたとして奪取しないようにするためです。むしろ彼は、人間的な野心や買収された支持によって選出されたのではなく、諸々の功績の意識と神の意思とによって推挙された人にそれを譲らねばなりません[1]



[1] Cf.Hom.Nb.XXII,4 (SC 29, 430-431):「教会の君主たちは、血の絆や肉的な親族の絆によって自分たちに結ばれた者たちに、遺言によって(後継者を)指名したり、教会の中に王朝を創始したりせず、神の判断にみずからを委ねるべきである」。

 

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