雲が幕屋を覆い、主の威光が現れて、モーセとアロンを雲の中で受け入れたのを、私たちは以前に読んだことがありません――民が二人に向かって立ち上がり、彼らに石を投げようとするまでは[1]。この箇所から、私たちは次のことを学びます。諸々の迫害の中に、どれほど大きな利益がキリスト者たちのためにあるか、どれほどおきな恵みがもたらされるか、どのようにして神が彼らための保護者となるか、どのようにして聖霊が豊かに注がれるかを。実に、特に人々の残忍さが爆発したとき、神の恵みが臨みます。私たちが人々のゆえに義のための諸々の戦いを耐え忍ぶとき、私たちは神の許で平和を得ます。実際、「罪が溢れているところで、恵みはさらに豊かに溢れました[2]」とあります。



[1] Cf.Nb.14,10.

[2] Rm.5,20.

 

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