第六の祈りの方法
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彼は、トゥールーズ近くの川でおぼれかけたイギリスの巡礼者たちの一団を救ったときも、似たような方法で祈った。我らの主も、十字架に掛けられていたとき、このように、すなわちその両手を広げて、「大きな叫び声と涙で」祈り、・・・「その敬虔な従順の故にそれは聞き入れられたのである」(ヘブ5,7)。
また、聖なる人ドミニコは、何か偉大で驚くべきことが自分の祈りによって起こると神の霊感を受けて知るのでなければ、この祈りの方法に訴えなかった。もっとも彼は、兄弟たちにこの方法で祈ることを禁じなかったし、そうするようにも促さなかった。我々は、彼が自分の両手を十字型に広げて少年を蘇らせたとき、何を言ったか知らない。たぶんそれは、次のエリアの言葉だっただろう。「主よ、我が神よ、わたしはあなたにお願いします。この子の魂をこの子の体に返してください」(王上17,21)。彼は、あのときの祈りで、確かにこの預言者の外的な流儀に従っていたのである。残念ながら、托鉢者たちもシスターたちも、また貴人たちも枢機卿たちも、その他その場に居合わせたすべての人たちも、この尋常ならざる驚くべき祈りの方法に驚いてしまい、彼が何を言ったかを覚えていない。その後も彼らは、これらの出来事についてドミニコに尋ねることができなかった。なぜならこの類稀なる聖人は、これらの奇跡を通して大きな畏敬の念を彼らに吹き込んだからである。
彼はこの祈りの方法に関係する詩編の言葉を、厳粛で円熟した仕方でゆっくり唱えたものである。「我が救いの神、主よ、わたしは昼も夜もあなたのみ前で叫びました」から「主よ、わたしはひねもすあなたに叫びました。わたしはあなたに向かって手を広げました」(詩87,2-10)。そして彼はこう付け加えたものである。「主よ、わたしの祈りを聞き、あなたのまことのゆえに、わたしの願いに耳を傾けてください・・・」。彼は、次の言葉を唱えて祈りを続けたものである。「わたしはあなたに手を差し伸べました。・・・ 主よ、すみやかにわたしに応えてください」(詩142,1-7)。
我らの師父のこの祈り模範は、敬虔な人々が、彼がこうして祈るときの熱意と英知をよりたやすく察するのを助けてくれたものである。このことは、彼がこのように祈ることによって何らかの驚くべき仕方で神を動かそうと望んだときにも、神が自分を動かして、自分自身のための、あるいは自分の隣人のための何らかの特別な恵みを求めさせようとしていることを何らかの内的な霊感によって感じたときにも当てはまる。このようなときには、彼は、この絵が示しているように、ダビデの霊的な洞察やエリアの熱意、キリストの愛で輝いていた。