第七の祈りの方法
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彼は、至福に生きることによって見出されるあの超越的な喜びの幾ばくかを彼自身と彼の兄弟たちのために祈り求めているように見えた。彼は、次のように祈っていたように思われる。それぞれの人は、貧しさの極みにあるとき、激しく嘆き悲しんでいるとき、残酷な迫害の最中にあるとき、正義にひどく飢え渇いているとき、すべての人への憐れみに動かされているとき、自分自身が本当に祝福されていると思うようにと。彼の願いは、自分の子らが、諸々の掟の遵守と福音的勧告の完全な実践とに喜びを見出すようになることだった。このとき、聖なる師父は、恍惚となり、至聖所と第三天に入ったように見えた。この種の祈りの後の彼は、過失を正しているときにも、他の者たちを指導しているときにも、説教をしているときにも、預言者のように見えた。
我らの聖なる師父は、この型の祈りにあまり長く留まらなかった。かえって徐々に自分の諸能力を回復していった。このときの彼は、彼の容貌や様子から、遠くの方からやってきた人のように、あるいはこの世を旅する旅人であるかのように見えた。兄弟たちはこのようなとき、彼が大きな声で祈り、預言者のようにこう言っているのを耳にしたものである。「主よ、わたしが聖なる神殿にわたしの手をあげるとき、あなたにささげるわたしの祈りの声をお聞きください」(詩27,2)。
彼は、自分の言葉と聖なる模範によって、このような方法で祈るように絶えず托鉢者たちに教えた。このとき彼は、詩編から取られた次の言葉をしばしば繰り返し言った。「さあ、汝らよ、主をほめたたえよ。主のすべてのしもべらよ。・・・ 夜、聖所に向かって汝らの手を上げよ。そして主をほめたたえよ」(詩133,1-3)、「主よ、わたしはあなたに叫び求めます。わたしに応えてください。わたしがあなたに向かって叫ぶとき、わたしの声に耳を傾けてください。香のようにわたしの祈りをみ前に立ちのぼらせ、夕のささげもののようにわたしの両手を上げさせてください」(詩140,1-2)と。この絵は、この祈りの様式を我々にわかりやすく教えている。