急いで食べなければならない。これは主のパスカである。

 

 実際、あの人たちも、以下のように急いで、自分たちの聖別のために彼を聖なる生け贄の祭儀に導くこと[1]を行ったとすれば、この命令は彼らに対して成就されたことになる。すなわち、「お前たちは、それを急いで食べなければならない。これは主のパスカ[2]」、すなわち主の過越であるとある。なぜならアダムにおける不従順の故に神によって定められた境界線を過ぎ越された方は、主だからである。主は/

 

48 [III,16]

「死のとげ[3]」を鈍らせ、その力を圧倒し、福音宣教によって、黄泉で監視されている霊たちに脱出(の許可)を与えられ[4]、また特に主は、ご自分の上昇を通して天への上昇の歩みを準備し、(神の国への)ご自分の入国によって諸々の門と諸々の扉をあげられたのである。(こう言われている。)「支配者たちよ、お前たちの門をあげよ。諸々の永遠の扉よ 、あがれ。栄光の王が入られる[5]」。そして(門の管理を)任されている諸力が二度めに(この言葉を)聞き、「(栄光の王とは)だれか[6]」と問い返したとき、彼ら(諸力)はこう聞いた。「力強い主、戦いに強い主[7]」「諸々の霊の主、この方こそ栄光の王である[8]」と。確かに、彼は、御父の栄光の王であり、御父は、その栄光において栄光を受けたのである。なぜなら御父は、「世界をご自分と和解させ、諸々の罪責を世界に対して数え上げることはなさらず[9]」、むしろ「(世界を)不利にせしめる世界に対する債務証書を破棄し、これをすっかり取り除いて下さった[10]」からである。しかもこれらのことは、キリストにおいて成し遂げられていたのである。(使徒パウロが)「なぜなら神は、キリストにおいてこの世界をご自分と和解された[11]」と言っている通りである。 そしてこの和解は次の言葉においてなされた。すなわち、「あどけない小羊が屠られるために引かれて行くように、私は知らなかった[12]」とある。つまり彼らは邪な謀りごとを彼に対して考えていたのである。彼らは、次の言葉を知っていた。「人の子は多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目に/

 

49 [IV,1]

復活しなければならない[13]」。更に(これを)聞いた弟子たちは、それぞれに嘆き悲しんだりもしたので、彼は言われた。すなわち、「私が去って行くのは、あなたたちにとって益になる[14]」。なぜなら「一粒の麦がもしも死ななければ、それは一粒のままである。しかし死ねば、それは多くの実を結ぶ[15]」からだ、と。これは次の言葉と符合している。すなわち、「『ご覧ください。私と、神が私に与えて下さった子供たちとはここにおります』。事実、子供たちが血と肉を共有していたので、彼自身もまた、それらのものに同様に与っていた。それは彼が、(ご自分の)死によって、死の権力を持つ者すなわち悪魔を滅ぼし、また死の恐怖によって、全生涯、奴隷状態に陥っていた人々を解放するためでした[16]」。確かに真の小羊、すなわちキリスト・イエスは、この代の闇の支配者の奴隷状態から(彼らを)解放されたのであった。そしてエジプトで殺された小羊は、この方の予型となった。彼は、当時のヘブライ人たちを[17]、エジプトの当時の支配者の権能から贖い出したのである。このエジプトは闇と呼ばれ、またファラオは放逐者と呼ばれる[18]。なぜなら彼は、徳の光の中でなされた諸々の業を、自分の支配権、すなわち闇の中に生活する者たちの思惑を通して放逐するからである。



[1] to. u`pe.r a`giasmou/ auvtw/n auvto.n evpi. th.n i`erougi,an a;gein

[2] Ex.12,11.

[3] 1 Co.15,56.

[4] Cf.I P.3,19;4,6.

[5] Ps.23,7-9.この詩編をキリストの昇天に適用することは、初代教会の伝統であろう。ヒッポリュトスもこの詩編を引用する。Cf. Ps.-Hippolytus, Homélies Pascales 61(SC 27, 189); Justin, Dial. XXXVI,5-6; LXXXV,4; Irénée,Démonst. 84; Tertullien, Adu.Marc.V,17,5.

[6] Ps.23,8.10.

[7] Ps.23,8.

[8] Ps.23,10.

[9] 2 Co.5,19.

[10] Col.2,14.

[11] 2 Co.5,19.

[12] Jr.11,19.

[13] Mt.16,21;Mc.8,31;Lc.8,22.

[14] Jn.16,7.

[15] Jn.12,24.

[16] He.2,13-15.

[17] 「当時のヘブライ人」は、闇の世界から光の世界へと過ぎ越していく「真のヘブライ人」、すなわちキリスト者と対比されている。

[18] Cf.Hom.Gn.VI,2(GCS 6, 67, 16-17):「ファラオは、私たちの言葉で、破壊者と解釈される」。