この月は諸々の月の元である

 

 この月は諸々の月の元/

 

4 [I,4]

である、と神はモーセとアロンに言われている。そしてそれは彼らにとって、彼らがエジプトを脱出したときの、一年の諸々の月の中の最初の月であると言われているのである。確かに歴史的な出来事に関するかぎり[1]、その月は、まさに最初の月であり、ユダヤ人たちはその祭りを、モーセを通して彼らに与えられた律法に従って、毎年、最初の月の十四日に祝い[2]、家ごとに小羊を屠っているのである[3]。ところが、キリストが「律法や預言者たち(の教え)を廃止するためではなく、成就するために来られた[4]」とき、彼は、真のパスカ、エジプトからの真の過越が何であるかを私たちにお示しになられたのである。そして過ぎ越して行く人にとってはまさしく、エジプトの過越の月が来るとき、その時が諸々の月の元なのである。それはあたかも彼にもう一つ別の誕生の元の如きものが訪れるようなものである。なぜなら、闇を捨て去り光の方に来る人にとっては[5]、新しい生活が始まるからである。(もちろん)私は、キリストに望みをかける人たちに水を通して与えられた秘蹟に固有な意味で(以上のことを)言っており、この秘蹟は「再生の洗い[6]」と名付けられている。実際、再生は、もう一つ別の誕生の元を意味するのでなければ、他に何を意味するのだろうか。



[1]オリゲネスは通常、歴史(ivstori,a)という語を、「文字通りの意味」を指すものと見なしている。

[2] Ex.12,6;Nb.9,3.

[3] Ex.12,3.

[4] Mt.5,17.

[5] Cf.Jn.3,19-21.

[6] Tt.3,5.