――キリストの奉献による恵み――

 彼らは、自分たちに応じた(様々の)領域の中で、その無知に支配されているのである。ある人たちは定めの中で、ある人たちは偶然の中で、またある人たちは支配者[1]の支配の中でその無知に支配されている。なぜなら、彼らは、幼少の時の支配者(の意向)に応じた養育によって育てられて、/

 

46 [III,14]

真の父と自然本性による母を忘れてしまったからである[2]。真の父は次のように言っている。「私は、エジプトにいる私の民の虐待をはっきりと見、彼らの叫びを聞いた。私は彼らを現場監督者どもから救い出し、彼らをファラオの隷属状態から、そしてエジプト人たちの手から救い出し、私がアブラハムとイサクそしてヤコブに嗣業として与えると誓った地へ彼らを導き入れるために、降ってきた[3]」。このことこそ、「諸々の代の終わりに[4]」彼がまさになさったことなのである。すなわち、彼はそのとき、「ご自分の肉によって[5]」「罪を滅ぼすために[6]」来られた。そして「敵を殺し、おいでになって「遠くの者」である私たちにも、「近くの者」である私たちにも(平和の)福音を告げ知らせ[7]」、「闇の支配から私たちを贖い出し、ご自分の光りの中に私たちを移し入れて下さったのであった[8]」。実際、周知の通り、彼は私たちをエジプトとエジプトを支配する者たちから外へと移し出して下さり、「彼らを十字架に釘付けにし、公にさらし者にして、彼らを十字架によって征服されたのである[9]」。それ故に、「見よ、私は来た。実際、聖書の始めに私について書いてある。神よ、あなたの御旨を行うために[10]」。「(キリストは)あらかじめこう言われていた。すなわち、「あなたは犠牲や供え物を望まれなかった。しかし、あなたは、私のために、身体を備えて下さった。あなたは、焼き尽くす犠牲しかも罪を償うための焼き尽くす犠牲を喜ばれなかった[11]」。この彼自身の供え物を通して/

 

47 [III,15]

さまよえる世界は浄められ、回心へと向かう[12]。そして彼は、「ご自分の十字架の血」においてすべてのものに「平和をもたらされ[13]」、不従順な者たちの滅びへと通ずる怒り[14]という「敵意が根絶されるのである[15]」。確かに、もしも彼らが律法の規定に(そこで)言われた通りに聞き従うのに取りかかり、「一束のヒソプ[16]」と共に、すなわち回心へと向かう諸々の思いの芳香と共に(この過越の秘義を)実行したのであれば、真のパスカ、キリストが彼らのために成し遂げられたことになるのである。キリストは次のように言われていた。「私は彼らのために、私自身を聖別してお捧げします。また彼らのためばかりばかりではなく、私を信じるすべての人たちのためにも(そう致します)[17]」と。事実、彼らは、信仰において、その完全なパスカに着手したのではなく、不信仰においてそうしたのである。彼らは、預言者たちが告げ知らせていた聖書(の霊的な意味)を認識していなかった。実際、聖書ではこう言われている。「もしもあなた方が信じなければ、理解することもないだろう[18]」。「確かに、私が来たのは、私の意思を行うためではなく、私をお遣わしになられた方のご意思を行うためである[19]」。そしてこのご意思とは、信じるすべての人々のために彼自身が与えられるということだったのである。



[1] もちろんファラオばかりでなく、闇の支配者やこの世の君といった悪魔を指す。

[2]「真の父」は、後続の聖書の個所から、地上に来られたみ言葉(ロゴス)を指す。エイレナイオス『全異端反駁』IV,7,4を参照せよ。

[3] Ex.3,7-8;6,8;cf.Gn.48,21;50,24.

[4] He.9,26.

[5] Ep.2,14.

[6] He.9,26:「ご自身の生け贄によって罪を滅ぼすために」。

[7] Ep.2,16-17;cf.Is.57,19;52,7.

[8] Col.1,12-13;cf.1 P.2,9.

[9] Col.2,14-15.

[10] He.10,7-8;Ps.39,8-9.

[11] He.10,5-6;Ps.39,7.

[12] 真の故郷への魂の回帰を意味する。

[13] Col.1,20.

[14] Cf.Rm.2,8.

[15] Ep.2,16.

[16] Ex.12,22.

[17] Cf.Jn.17,19-20.

[18] Is.7,9.

[19] Jn.6,38;et cf.ibid.6,39-40.