十四日まで生かしておく

 

 そしてあそこでは、小羊が取られた十日に日を同じくしてそれが屠られたのではなく、五日過ぎた十四日の日にそれが屠られた。それと同じように、ここでも/

 

18 [II,2]

[真の小羊、すなわちキリストを取った人は、直ちに屠りそしてそれを食べるのではなくて、その捕獲後五日経ってからそうするのである。実際、キリストについての話を聞きそして信じた人は、キリストを取ったのである。しかし彼は先ず五日が経過しなければ、彼を屠りそして食べることはない。なぜなら、人間の感覚は五つあるので、もしもキリストがそれらの感覚の一つひとつに来られなければ、キリストが屠られ、焼かれて食べられらることは、たぶんあり得ないからである。実際、キリストがご自分の唾で泥を]お作りになって、私たちの目に塗り[1]、遠くの方まで見えるようにされたとき[2]、また私たちが目を得て聞くことが出来るようになるために[3]、私たちの心の目をお開きになられたとき[4]、そして私たちが彼のかぐわしい香りを臭ぎ[5]、彼の名前は注ぎ出された香油である[6]と認めるとき、更に私たちが味わって、主が美味しい(すなわち慈しみ深い)[7]と悟った場合、またヨハネが言うように、私たちが触覚によって彼に触れるなら――実際ヨハネは次のように言っている。「元からあったもの、私たちが聞き、私たちの目で見、私たちの手で触れたもの、生命のみ言葉について[8]」――このようなときにこそ、私たちは小羊を屠りそして食べることが出来るようになろう。/

 

19 [II,3]

[そして私たちはそのようにしてエジプトを脱出することが出来るようになるだろう] ・・・ [大部分毀損] ・・・ 調和させて ・・・ [そして彼らはしばしば]吟味した上で ・・・『詩編』第八番に「ブドウ桶のために」という表題が付けられている[9]。また神殿が建築されるとき、そこで働く荷役と石工の人数が語られる。すなわち「七/

 

20 [II,4]

[万人の運び手と八万人の石工[10]]と言われている。・・・ [原文数行毀損] ・・・ 私たちは[エジプトを[11]]脱出した。しかしまた[これに応じて]「最初の月に、その月の十四日、(二つの)夕暮の間に」パスカ(の小羊)[屠られるように定められた]ことを[示す]ある別の箇所がある[12]。その際、月の光は[満ちて]完全になる。と言うのは、小羊は、十五日が始まって月の輪が最も満ちるとき、その月の十四日、(二つの)夕暮の間に[屠られるからである]。/

 

21 [II,5]

[(もちろん)これは、それらの事柄について考察している人々の見解の通りである][また私たちも、完全で真の光が私たちに昇ってこなければ、そして私たちの(心の)主導能力が完全に照らされるようになったのを悟らなければ、真の小羊を屠りそして食べることは出来ないだろう] ・・・ [原文約十行欠落] ・・・



[1] Cf.Jn.9,6-7.

[2] Cf.Mc.8,25.

[3] Cf.Mt.11,5;13,9.

[4] Cf.Mc.7,33-35.

[5] Cf.Ep.5,2;2 Co.2,15.

[6] Cf.Ct.1,3;Ph.2.7.

[7] crhsto.j o` ku,rioj;cf.1 P.2.3;Ps.33,9.

[8] I Jn.1,1.

[9] Ps.8 tit.(LXX).

[10] 1 R. 5,29.

[11] 訳者朱門による。

[12] Cf.Lv.23,5.