1.トゥーラ文書

 『過越について』は、1941年にエジプトのカイロの南方約十キロの所にあるトゥーラという場所の、古代エジプトの採石場跡の廃坑の中で砂塵や瓦礫の中から掘り出され一群のパピルス文書に含まれている。それらのいわゆるトゥーラ文書の発見と回収の経緯またその文書の内訳については、『過越について』と一つの巻物をなして同時に発見された『ヘラクレイデスとの対話』を日本語に訳した小高毅師が、その訳書の中で簡潔に述べておられるので、その詳細を日本語でお知りになりたい方は、師の要領を得た正確な解説を参照して頂きたい。ただ小高師の解説について若干の訂正をさせて頂けるのであれば、553年の第五回公会議によるオリゲネスおよびその共鳴者ディデュモスの断罪宣言に呼応して、彼らの作品すなわちトゥーラ文書を廃棄したアルセニウス修道院(ca.354-449/50)があった場所は、単に「カイロの近郊」であると言われるのではいささか不正確で、P.ノータンによると、それは採石場跡のある小高い丘のまさにその上である。発見の経緯と作品の内訳について簡単に言えば、オリゲネスの上記の二つの作品は、彼のその他の作品の一部や抜粋および、これまでその作品がほとんど知られていなかったオリゲネス支持者ディデュモスの幾つかの作品と共に、1941年にエジプトに駐留していたイギリス軍が下請け業者を使って軍需品の保管庫を設置する目的でトゥーラの古代採石場跡を清掃させていた際に、その廃坑内で偶然発見されたものである。

 

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