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バシレオスとナジアンゾスのグレゴリオス

オリゲネスのフィロカリア

朱門岩夫 訳

最終更新日2017/03/27

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序文

[01]

テュアナの監督テオドロスに宛てられた神学者聖グレゴリオスの手紙

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以下の項目が本巻に収められている

 

 聖文書の霊感について。どのようにそれを読み、解釈すべきか。聖文書における不明瞭さの理由は何か。幾つかの箇所で字義的に不可能なことや不合理なことの理由は何か。

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 聖文書が施錠され封印されていること。  

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第3章

 神感を受けた巻物はなぜ二十二巻なのか。  

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第4章

 聖文書の諸々の文法上の誤りと貧困な表現について。  

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第5章

 多言とは何であるか、聖文書の多くの諸巻は何であるか。そして神の霊感を受けた一切の書は一つの巻物であること。

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第6章

 聖文書全体は、神の完全で調和の取れた一つの楽器であること。

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第7章

 聖文書の人物たちの諸々の個性について。

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第8章

 文法的に間違っていて、言葉の上での一貫性を保持していない聖文書の諸々の言葉を訂正すべきでないことについて。それらは、理解できる人たちにとっては、意味の一貫性を大いに保持している。

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第9章

  聖文書が同じ名詞をしばしば、しかも同じ個所で、異なった意味で用いたことの理由は何か。

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10

 聖文書の中で、躓きの石や醜聞の岩と思しきものを持っているように見える諸々の事柄について。

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11

 神霊を受けた聖文書のすべてから、滋養を追求しなければならないこと、そして異端者たちによる数々の冒瀆的な問題提起によって掻き乱された(聖文書)諸々の言葉を退けたり蔑んだりすべきではなく、信仰における混乱を脱して、それらの言葉に組すべきであること。

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12

  聖文書の読書に際して、聖文書における数々の謎と比喩の曖昧さを理解できない人が落胆しないようにするために。

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13

 いつ、そしてどのような人たちにとって、哲学に由来する諸々の学識は、(聖文書)書き記された証しとともに、神聖なる諸書の解釈のために有益なものとなるのか。

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14

 神的な諸書を理解する際に真理に関して間違いを犯したくない人たちにとってもっとも必要なことは、言葉使いに相応しい言語上の諸事項――それらなくしては、意味されている諸々の事柄の正確さは、然るべき仕方で立証され得ない――を知ることである。

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15

 神的な諸書の表現の拙さを嘲笑し、キリスト教における諸々の美しい事柄は、ギリシア人たちの許でより見事に言われていると断言し、さらには、主の身体は醜いと言う、ギリシア人たちの哲学者たちに対して。そしてみ言葉の様々な姿の理拠[2]は何であるか。  

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16

 教会における数々の分派のゆえにキリスト教を中傷する人たちについて。  

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17

  万物の上に位する神を、ギリシア人たちの間に伝わる名でゼウスと呼ぶのと、インド人たちの間に伝わる名でそのように呼び、あるいはエジプト人たちの間に伝わる名でそのように呼ぶのとでは、何の違いもないと主張する一部の哲学者たちに対して。

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18

 ギリシア人たちの哲学者たちは、すべてのことを知っていると公言し、キリスト教において多くの人たちが無反省に信仰を受け入れ[3]、生活における知恵よりも愚かさを重んじていると非難する。さらに、いかなる賢者も教養ある人もイエスの弟子にはならなかったが、船乗りたちや極悪な収税人たちはその弟子となり、愚かで鈍感な人たち、奴隷、婦人、子女を宣教によって導いていると言って非難する。彼らに対して。  

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19

 我々の主への信仰は、異教人たちの不合理で迷信的な信仰とは共通するものをまったく持たない。むしろそれは、賞賛すべきものであり、その始めから一般的な諸々の観念と調和していること。および、どのようにして我々が、死すべき身体を持つイエスを神と見なすのかと言う人たちに対して。  

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20

 次のように主張する人々に対して――世界全体と人間たちは、人間のためにではなく、諸々の非理性的動物のために造られた[成った]。なぜなら、諸々の非理性的なものは、我々人間たちに比べて苦もなく生きているからであり、我々よりも賢明なものとして神に好かれており、神の観念を有し、将来の諸々の事柄を予知するからであると。また、転生に対して。ならびに、鳥占術とそれに基づく欺瞞について。

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21

 自由意志とそれを否定するように見える聖文書の諸々の言葉について、解決と解釈。それらの言葉は以下のとおり。

1 「主がファラオの心を固くした」ことについて。

2 「私は彼らから石の心を取り除き、肉の心を入れる。それは彼らが、私の諸々の掟の内に歩み、私の諸々の定めを守るためである」について。

3 「それは彼らが、見ても見ず、耳を傾けて聞いても理解せず、決して改心せず、赦されないようにするためである」について。

4 「それは、望む者や駆ける者によらず、憐れんでくださる神による」について。

5 「望むことも働くことも神による」について。

6 「したがって(神はご自分が)望む者を哀れみ、望む者を頑なにする」について。

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22

 諸々の理性的あるいは人間的魂の地上での分散――それは塔の建設とそれに対する諸々の言語の混乱から密かに示されている――とは何であるか。そこでは、散らされた者たちのの状態に応じて、彼らの上に配置された多くの支配者たちに関しても(話題にされている) 

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 運命について。神は各人によって為される諸々の事柄を予知していながら、どのようにして我々の自由意志[4]は保たれるか。どのような仕方で諸々の天体は、人間たちにおける諸々の事柄の起因ではなく、(それらを)指し示すしるしに過ぎないのか。人間たちは、それらの事柄に関する覚知を正確に持つことはできないが、(それらを指し示す)諸々のしるしは、神的な諸力[5]にとってあらわになっていることについて。それらの原因は何であるか。この章には、ローマの監督クレメンスがラオディケイアの父に宛てた手紙の中で――占星術が真実を語っているように見える場合について――述べる或る極めて説得力の或る考え(が引用される)  

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 質料は造られざるものでなく、諸悪の原因でもないこと。  

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 予知による選定[6]は、自由意志[7]を否定しないこと。  

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 或る諸々の事柄は善であり、ある諸々の事柄は悪であることについて。それらの事柄は、諸々の選択的意志[8]の内にあるか、非選択的意志[9]の内にあること――キリストの教えによれば。しかし、アリストテレスが考えているようにではない。

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 「主がファラオの心を固くした」という言葉について。  

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[1] 「字義的な一貫性」(h` kata. to. r`hto.n avkolouqi,a)と「思考の一貫性」(to. th/j dianoi,aj avko,louqon)は、もちろん対をなしている。

[2] lo,goj)

[3] この部分を直訳すると、「キリスト教における多くの人たちの信仰の無検討(to. avnexe,taston)を非難する」となる。

[4] to. evfVh`mi/m)

[5] duna,meij qei,ai)

[6] avforismo,j)

[7] to. auvtexou,sion)

[8] proairetika,;複数の可能性からよりよいものを選択する意志。

[9] avproairetiko,n;生理的欲求によって必然的に起こされた意志。

 

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