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 神霊を受けた聖書のすべてから、滋養を追求しなければならないこと、そして異端者たちによる数々の冒瀆的な問題提起によって掻き乱された(聖書の)諸々の言葉を退けたり蔑んだりすべきではなく、信仰における混乱を脱して、それらの言葉に組すべきであること。『エゼキエル書注解』第20巻からの抜粋[1]

 「主なる神は、次のように言われる。『見よ。私は、群れと群れ、諸々の羊と諸々の山羊とを選り分ける。お前たちはよい牧草を食むだけでは充分ではなかった。お前たちは、お前たちの牧草の残りを、お前たちの足で踏みつけた。お前たちは、静かな水を飲みながら、残りをお前たちの足で掻き乱した。そして私の諸々の群れは、お前たちの足が踏みつけたものを食み、お前たちの足によって掻き乱された水を飲んだ』と[2]」。

 羊たちの群れと山羊たちの群れに関して、群れ(という言葉)を時として山羊たちの種にも充てることは、聖書の習慣であることを証明した後で、彼は次のように付け加えている。



[1] この抜粋は、カテーナに収録された諸断片を除いて、エゼキエル書注解からの現存する唯一のまとまった断片である。エウセビオスの教会史VI,32,1によれば、全部で25巻あった。作成年代は、P.ノータンによれば、イザヤ書注解が完成した後、雅歌注解に着手する前の244-245年であるとされる。

[2] Ez.34,17-19.