13

オリゲネスからグレゴリオスへの手紙。

いつ、そしてどのような人たちにとって、哲学に由来する諸々の学識は、(聖書に)書き記された証しとともに、神聖なる諸書の解釈のために有益なものとなるのか[1]

 

 私のもっとも優れた師にして、もっとも尊敬すべき息子であるグレゴリオスへ、オリゲネスから主においてご機嫌いかがでしょうか。

 理解のための才能は、あなたもご存知の通り、訓練を受けるならば、実を結び、人が成し遂げようと願っている事柄のいわば目的へと可能な限り導いてくれます。ですからあなたの才能は、あなたを最高のローマ人法律家に仕立て上げ、著名だと見なされている諸学派の一つに所属するギリシア人哲学者にすることができます。

 しかし私としては、あなたの才能がもつ一切の力を、最終的にはキリスト教のために用いてくださることを望んでいます。実際的には、そのために、ギリシア人たちのたちの哲学の中から、いわばキリスト教の一般教養ないしは予備学となり得る諸々の事柄を受け取ってくださるように願っています。さらに、地理学や天文学からも、神聖なる諸書の解釈に益する諸々の事柄を受け取ってくださるように願っています。こうして哲学者たちの弟子たちが、地理学や音楽、文法学、修辞学、天文学について、それらを哲学の補助学として述べていることを、私たちは、キリスト教との関係における哲学そのものについても言うことにしましょう[2]



[1] 表題と副題は、もちろんフィロカリアの編集者による。本書簡は、このフィロカリアによってしか伝えられていない。H.クルゼルは、本書簡の受け取り手をカッパドキアのグレゴリオス(グレゴリオス・タウマトゥルゴス)としているが(SC148,p.187)、P.ノータンは、それを否定し、法律と哲学の勉学のためにエジプトに赴いた別のグレゴリオスとしている(Origene, p.161)

[2] 同様のことはアレクサンドリアのフィロンも説いているが、アレクサンドリアのユダヤ人哲学者フィロンにも見出される。Cf.Clemens Alex., Srom.I,v.30,1; VI,x,80,1-4; Philon, De congr.erud.gr.,79.