おそらく、『出エジプト記』の中で神の口を借りて書き記されている事柄も、以上のことを暗示しているでしょう。すなわち、諸々の金銀の器や衣類を隣人たちや同居者たちのから求めることがイスラエルの子らに命じられています[1]。それは、彼らがエジプト人たちから奪うことによって、受け取られた諸々の品物を使って神の礼拝のために必要な物を作るための材料を見出すためです。実際、イスラエルの子らは、あじぷと人たちから奪った諸々の品物から、諸々の聖の聖なる所にある物品――蓋の付いた櫃、一対のケルビム、贖いの座、み使いたちのパンであるマナが納められた「金の壷[2]」――を作りました[3]。これらは確かに、エジプト人たちの最高の黄金から作られているに違いありません。それよりも劣るいわば第二の黄金から、内側の垂れ幕に隣接する全体が金でできた堅固な燭台や、その燭台の上に置かれた諸々の灯火皿、備えのパンが載せられた黄金の机、そして両者[4]の間にある黄金の香壇が作られました。また、第三と第四の黄金のような物があれば、その黄金から、諸々の聖なる祭具が作られました。エジプト人の銀からも、他の数々の祭具が作られました。なぜならエジプトに滞在していたイスラエルの子らは、神の礼拝に必要な諸々の物品(を作るの)に十分な量の高価な材料を、その地での滞在から手に入れたからです。さらにエジプト人たちの衣類から、聖書が述べているように、縫師たちの技が必要なすべての物が作られたに違いありません[5]。縫師たちは、神の知恵をもって[6]、斯く斯くの衣服を然々の衣服に縫い合わせ、外側や内側にある諸々の覆いや垂れ幕を作りました[7]



[1] Cf.Ex.11,2; 12,35.

[2] Ex.16,33.

[3] Cf.Ex.25,10-28,44; 37,1-40,33.

[4] 両者とは、燭台と机をさす。

[5] Ex.27,16?(詳細不明)

[6] Cf.Ex. 28,3;31,3.

[7] Cf.Com.Rm.VI,9; C.Celse,I,22; Philon Alex., De somniis, I, 203-206.