ですから、息子にして師よ。あなたは何よりも先ず、神的な諸書の読書に専念してください。とにかく専念してください。なぜなら私たちは、諸々の神的な事柄を読み解く際に、それらに関して何かしら軽率なことを言ったり考えたりすることのないように、多大の専念を必要とするからです。そして諸々の神的な事柄の読解に専念する場合には、神を喜ばせる誠実な期待をもって、数々の閉じられた事柄(の扉)をたたいてください。それは、門番によって、あなたのために開けられるでしょう[1]。イエスはこの門番について、「門番は彼のために開けてくれるであろう[2]」と言っています。また神的な読解に専念するとき、多くの人々には隠されている神的な文書の意味[3]を、正しい仕方で、そして神への揺るぎない信仰をもって探求してください。(扉を)たたき、探求することで満足しないでください。まさに、諸々の神的な事柄を理解するための祈りが、何よりも必要です[4]。そうした祈りへと向かわせるために、救い主は、「あなた方はたたきなさい。そうすればそれはあなた方のために開けられるであろう」、「あなた方は探求しなさい。そうすればあなた方は見出すであろう」と言うばかりでなく、「あなた方は求めなさい。そうすればあなた方に与えられるであろう[5]」と言ったのです。私は、あなたへの私の父的な愛情から、以上のことを敢えて述べました。敢えて述べた事柄がよいことであるか否かは、神と神のキリスト、そして神の霊とキリストの霊に参与する人がご存知でしょう。あなたも、参与してください。そしてその参与を常に増してください。それは、あなたが、「私たちはキリストに参与する者になりました[6]」と言うばかりでなく、神に参与する者になりましたと言うようになるためです。



[1] Cf.Mt.7,8.

[2] Jn.10,3.

[3] 「神的な文書の意味」と訳した個所を直訳すると、「諸々の神的な文字の精神(ヌース)」となる。訳者(朱門)が何度も指摘していることであるが、オリゲネスにとって、聖書のヌース(意味)とはキリストのヌース(人類愛)である。

[4] Cf.Hom.Ex.XII,4:「聖書を理解するには探求するだけでは十分ではありません。主に祈り、昼も夜も主に懇願しなければなりません。そうすれば、ユダ族の子羊が来て、封印された書をみずから取って、開いてくださるでしょう」。

[5] Mt.7,7.

[6] He.3,14. 神の三つの位格に関するオリゲネスの考え方が暗示されている。我々は、神とキリストの霊において、キリストを通して、神に参与する。