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 神的な諸書を理解する際に真理に関して間違いを犯したくない人たちにとってもっとも必要なことは、言葉使いに相応しい言語上の諸事項――それらなくしては、意味されている諸々の事柄の正確さは、然るべき仕方で立証され得ない――を知ることである。『創世記注解』第3[1]

 

 「そして神は、二つの大きな発光体――大きな発光体は、昼の支配のために、小さい方の発光体は夜の支配のために――そして数々の星をお造りなった。そして、それらが地の上で輝き、昼と夜を支配するために、神は、天の天蓋の中にそれらを置いた。[2]」。

 ここで、「昼の支配のために」という言葉と「昼を支配するために」という言葉が同じであるかどうか、そして、「夜の支配のために」という言葉が――(昼と夜の)いずれにも「支配する」という言葉が掛かると考えられるなら――、「夜を支配するために」という言葉と同じであるかどうかが検討されねばならない。実にアキュラも、類比する事例を保っている。それは、「支配のために」という言葉の代わりに「監督のために」という言葉を、「支配するために」という言葉の代わりに「監督するために」という言葉を使っている[3]。ところで意味されている諸々の事柄の検討に配慮する人々は、名詞と述語の対[4]が見られる個所では、名詞を受け取る事柄[5]が先ず存在し、その次に、その名詞と並んで述語が来ると言っている。そして彼らは、述語を持つ名詞とはたとえば「思慮深さ」であり、その述語は「思慮深い」であると言う[6]。同様に彼らは、「慎重」が名詞であり、「慎重だ」が述語であると言い[7]、「思慮深さ」が先ず存在し、次に、「思慮深い」という述語が「思慮深さ」から帰結すると言っている。たとえある人々には、私たちが聖書の意図[8]に反することを行っているように見えても、私たちが以上のことを述べたのには理由がある。それはすなわち、諸々の発光体を創造した神は、大きい発光体を昼の「支配」のために造り、小さい方の発光体を夜の「支配」のために造ったが、それらを天の天蓋の中に置いたときは、もはや昼と夜の「支配」のためではなく、昼と夜を「(それらが)支配するため」であったからである。実に文法上の規則[9]に従って一定の順序で、先ず名詞が所定の場所に置かれ、次に述語が付属するといいうことは、私たちを動かして、(神の)奉仕者[10]の許でも、この問題が同様のこととして理解されていただろうと推測させるのである。いわんやきわめて厳密に翻訳することに尽力したアキュラが、名詞と述語(の関係)に反することを行っていなかったのであるから、その推測は首肯される。



[1] 厳密には、創世記1,16-18に関する『創世記注解』第三巻からの抜粋である。この抜粋は、後続の『フィロカリア』第23章に記載された同注解の抜粋と共に、まとまった形で伝えられる『創世記注解』の唯一のギリシア語原文である。本章に記載された抜粋は、オリゲネスの初期の代表作の一つである『原理論』と同時期に、アレクサンドリアで作成された。オリゲネスは、『原理論』I,2,6で、創世記1.26は、まだ注解していないが、同書II,3,6では、創世記1,1を既に注解したと言っている。なお、オリゲネスは、後のカイサレイア時代に『創世記講話』(ラテン語訳)を残しているが、そこでは当然のことながら、霊的な教え(信仰生活のための教え)しか述べられていない。なぜなら講話は、日常の信仰生活に必要な実践的な指針を示す説教であって、学術的研究の発表ではないからである。

[2] Gn.1,16-18a.

[3] 「支配」(avrch,)、「支配する」(a;rcein)、「監督」(evxousi,a)、「監督する」(evxousia,zein)

[4] suzugi,a proshgoriw/n kai. kathgorhma,twn.

[5] ta. tugca,nonta tw/n proshgoriw/n :名詞を受け取る(諸々の)事柄」も、「(諸々の)名詞」(proshgori,ai)も、述語に対応する「主語」と考えてよい。

[6] 「思慮深さ」(fro,nhsij)、「思慮深い」(fronei/n)

[7] 「慎重さ」(swfrosu,nh)、「慎重だ」(swfronei/n)

[8] 「聖書の意図」(to. bou,lhma th/j grafh/j)。これは、聖書の与えられた個所の文字通りの意味を意味しない。オリゲネスにとって「聖書の意図」とは、文字通りの意味(歴史的な意味)を通して垣間見られた人類の救いの計画(オイコノミア)を意味する。もちろん「聖書の意図」は、「聖書の精神(ヌース)」と同義である。しかしオリゲネスは後者の方を好んで使う。その理由は、やがて述べる。

[9] to. tecnologou/menon

[10] qera,pwn.モーセをさす。Cf.C.Celse,5,28; 2,53; Exh.ad mart.46.