11 こうして、ケルソスが主張するところによれば、イエスは田舎者の言葉で「あなたの頬を打つ者に、もう一方の頬も向けなさい[1]」、「また、あなたが訴えられることを望み、あなたの下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい[2]」と言っているのであるが、イエスは、このように言うことで、『クリトン』におけるプラトン以上に、人生に有益な教えを提唱し提案していることが証明された。なぜなら素人の人たちはプラトンの話を聞いて理解することすらできず、そればかりかギリシア人たちの荘厳な哲学以前の一般教養[3]を学習した者たちも理解するのに窮しているからである。また、堅忍に関する意味は、(イエスの)諸々の言葉使いの拙さによって損なわれるものではないことに留意しなければならない。しかしこの点においても、ケルソスは、次のように言ってみ言葉をけなすのである。しかしこれらの事柄に関しては、彼らによって損なわれた他の諸々の事柄と同様、以上で言われたことで十分としよう、と[4]



[1] Lc.6,29.

[2] Mt.5,40.

[3] 省略

[4] 『ケルソスへの反論』第761では、この一文に、「それらの事柄について何ごとかを更に検討したいと望む人には誰にでも、(それが)見出されるだろう」という一文が、付加されている。