実際、ギリシア的な問答法による証明よりも神的な固有の証明のようなものが、み言葉に存在する。これを使徒は、「霊と力による証明[1]」と名づけている。「霊による」とは、読者をして特にキリストに関する諸々の事柄を信じさせることができる数々の預言のゆえにである。また、「力による」とは、他の多くの人々によって存在していたことが立証される数々の驚異的な力のゆえに、あるいは、み言葉の意思に従って生活する人たち[2]の許にそれらの数々の痕跡が依然として保たれているということによって存在していたことが立証される驚異的な諸力のゆえにである[3]



[1] 1Co.2,4.

[2] 省略

[3] 本節は『ケルソスへの反論』第1巻2の後半の抜粋である。この『反論』の第1巻全体は、既に訳出してある。拙訳(電子版)を参照せよ。