14 ケルソスがイエスと弟子たちに対して中傷したのと似たような事柄が、アリストテレスに関しても報告されていると、我々は言いたい[1]。すなわち彼は、アテナイの人たちが不敬と見なした自分の哲学の何らかの学説のゆえに、不敬罪を理由に自分に対して法廷が招集されようとしているのを見て、アテナイ人たちの許から退き、カルキスで学究生活を送った。そのとき彼は、親しい者たちに弁明し、次のように言っている。「ソクラテスに対して行われた忌まわしい罪と同じような罪を再び犯す口実をアテナイ人たちに与えないようにするために、また彼らが再び哲学に対して不敬を働かないようにするために、我々はアテナイを離れよう[2]」と。



[1] 本節は、第11節で引用された『ケスソスへの反論』第1巻65節の後半部からの抜粋である。

[2] 『ケスソスへの反論』第1巻65節では、この後に次の文章が続いている:

また(ケルソスは)、イエスが弟子たちとともに、無様で執拗に々の食べ物を集めながら、歩き回っていたと言う。いったい彼は何を根拠に、無様で執拗な物乞いを取り沙汰するのか言うべきである。福音書では、持病を癒してもらった幾人かの女性たちが――その中にはスザンナもいた――、自分たちの手元にあるものの中から諸々の食べ物を弟子たちに提供していたとある(Lc.8,2-3)。親しい者たちの利益に献身する哲学者たちの誰が、諸々の必要なものを親しい者たちから受け取らなかったろうか。それとも、イエスの弟子たちがこれと同じことをし、ケルソスによって無様にも執拗に食べ物を集めていると非難されているのであれば、これらの哲学者たちは、このことを相応しく立派に行ったのだろうか。