16 しかし、み言葉は、我々が賢明であることを望んでいることを、我々も使っているユダヤ人たちの古い諸々の書物からも証明しなければならない。同様に、イエスの後に書かれ諸教会において神的なものであると信じられている諸々の書物からも証明されなければならない。詩篇第50編で、ダビデが神への祈りの中で、次のように言っていることが書き記されている。すなわち、「あなたは、あなたの知恵の諸々の不明瞭で隠された事柄を私に明らかにされた[1]」と。もしも人が詩篇をよむなら、その人は、その書物が多くの賢い諸々の教えに満たされていることを見出すだろう。またソロモンは、知恵を求めると、(知恵を)受けた[2]。彼の知恵の数々の痕跡を、諸々の書物の中に見ることができる。それらの痕跡は、偉大な思想を簡潔な言い回しの中に含んでいる。それらの書物の中に、知恵に対する多くの賛歌と、知恵を身に着けることに関する数々の勧めの言葉を見出すことができる。ソロモンはそれほどまでに賢明であったため、サバの女王は、彼の「名声と主のみ名」を聞いて訪れ、「数々の謎で彼を試した」。彼女は、「自分の心の内にあることをすべて彼に語り、ソロモンは、彼女のすべての言葉に答えた。彼女に答えなかった言葉は、(ソロモン)王には見当たらなかった。こうしてサバの女王は、ソロモンのすべての思慮」と、彼の下にある諸々のものを見た[3]。「彼女は、我を忘れ、王に言った。私があなたについて、あなたの思慮について、私の地で聞いた話は本当でした。私は、ここに来て、この目で見るまでは、私にその話をする人々を信じませんでした。しかしあろうことか、人々が私に報告したことは、半分にも足りませんでした。あまたは、私が聞いた一切の話にまさって、知恵と諸々の財貨とをお示しになりました[4]」。実に彼について次のように書かれている。「主は、ソロモンに、思慮とはなはだしく偉大な知恵、海辺の砂浜のような広い心をお与えになった。ソロモンにおける知恵は、古のすべての人たちにも、エジプトのすべての思慮深い人たちにもはるかに優っていた。彼は、すべての人たちに優って賢かった。彼は、エズラ人エタンにも、マホルの子らであるヘマンやカルコルやダルダにもまさって賢かった。彼は、周りのすべての異邦人たちの間で有名であった。彼は、三千の例え話を語った。彼の讃歌は、五千に及んだ。彼は、諸々木に関して、レバノンにある杉から、石垣から生えるヒソプに至るまで語った。彼は、諸々の魚と諸々の家畜について語った。すべての民が、ソロモンの知恵を聞くために来た――彼の知恵について聞いたこの地のすべての王たちの許から[5]」。

 このようにみ言葉は、信じる人たちの内に賢明な人たちがいることをお望みになり、聞いている人たちの理解力を鍛えるために、ある事柄は諸々の謎の内に、ある事柄はいわゆる「闇の言葉」の内に、ある事柄は例え話の内に、他の事柄は諸々の難問を通してお語りになった[6]。預言者たちの一人、ホセアも、彼の諸々の言葉の終わりで、次のように言っている。すなわち、「それらの事柄を理解できる知者は誰か。それらのことを知り理解するのは誰か[7]」。ダニエルおよび、彼とともに囚われた人たちも、バビロン王を取り巻く賢者たちが実践していた諸々の学識において、甚だしく進歩したため、(宮廷の)すべての賢者たちより「十倍も」秀でていることが示された[8]。エゼキエルでも、知恵を大いに誇っていたテュロスの支配に対して、次のように言われている。「あなたは、ダニエルよりも賢くないのか。あなたに、一切の秘密が示されたのではなかったか[9]」と。



[1] Ps.50,8.

[2] Cf.2Ch.1,10-11.

[3] 1R.9,1-3.

[4] 1R.9,5-7.

[5] 1R.9,9-14.

[6] Cf.Pr.1,1-6.

[7] Os.14,10.

[8] Dn.1,20.

[9] Ez.28,3. 本節は、『ケスソスへの反論』第345節全体の抜粋である。