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次のように主張する人々に対して。世界全体と人間たちは、人間のためにではなく、諸々の非理性的動物のために造られた[成った]。なぜなら、諸々の非理性的なものは、我々人間たちに比べて苦もなく生きているからであり、我々よりも賢明なものとして神に好かれており、神の観念を有し、将来の諸々の事柄を予知するからであると。また、転生に対して。ならびに、鳥占術とそれに基づく欺瞞について。『ケルソスへの反論』第4巻からの抜粋[1]

 これに続けて、ケルソスは次のように言っている。「しかし(私の)議論を、ユダヤ人たちにばかりでなく――私は彼らに関して語っているのではない――、私がすでに約束したように、(自然)本性全体にも関わらせるために、すでに述べたことをもっと明瞭に提示しよう」。しかし、人間の弱さを自覚している温厚な人の誰が、これらの言葉を読んで、(自然)本性全体に関して説明を与えると約束した彼の無謀さと――彼が自分の書物につけた表題に現れた虚言にたじろがないだろうか。そこで我々は、彼が(自然)本性全体に関して語り、明らかにしようと約束した事柄が何であるかを考察することにしよう[2]



[1] 本章は、『ケルソスへの反論』第4巻第73節後半から第4巻の最後まで(99)の抜粋である。

[2] 本節は、『ケルソスへの反論』4巻第73後半の抜粋である。念のために、その前半を訳すと、次のようになる:

(ケルソス)は、神の怒りに関して書かれている諸々の事柄を理解していなかったために、次のように言っている。「ユダヤ人たちに対して怒りを覚えた人間(ティトゥス帝)が、彼らを、彼らの青年を含めてことごとく滅ぼし、(彼らの町を)焼き払ったように、もっとも偉大な神が――彼らの言うところによると――怒りを覚え、憤慨し、脅しをかけ(ただけでなく)、自分の子を(この世に)送り、みずからそのような苦しみを味わったとすれば、それは馬鹿げたことではないのか」。しかし、たとえユダヤ人たちが、イエスに対して敢えて行った数々の仕打ちの後に、若者もろとも滅ぼされ、焼き払われたとしても、彼らは、他ならぬ彼ら自身がみずからのために蓄えた怒りのゆえに、それらの苦しみを味わったのである。その怒りは、神の決定に基づいて下された彼らに対する神の裁きであり、これがヘブライ人たちに伝来の流儀に従って怒りと名づけられているにすぎない。これに対し、もっとも偉大な神の子は、人々の救いのためにみずから望んで苦しみを受けた。それは、すでに、我々が力の限りを尽くして述べたとおりである(Cf.Contra Celsum, I, 54-55, 61; II, 16, 23)