14 さらに私が、それらの点に関して、ケルソスと対決しようと望むなら、『箴言[1]』から取られたソロモンの言葉を使いたい。それは、こうなっている。「地上で極めて小さいものは四つあり、それらは賢者たちよりも賢い:蟻たちは、力にはならないが、夏に食料を集める。岩狸たちは、強い民ではないが、諸々の岩の中に彼ら自身の諸々の棲家を作る。イナゴは、国王を頂かないが、号令一つで整然と進軍する。トカゲは、手足で身体を支えており捕らえやすいが、国王の砦に住んでいる[2]」。しかし私は、諸々の言葉のいわば明白な意味に甘んじない。私は、表題に従って――実際、この巻き物は、『諸々のたとえ話』と題されている――、それらの事柄を諸々の謎として探求したい[3]。これらの(聖文書の執筆に携わった)人たちにとって、何事かを直ちに示す諸々の事柄と、他のことを密かに告げる諸々の事柄とを多くの類型――その内の一つが諸々のたとえ話である――に配分することは普通のことである。それゆえ、我々の諸々の福音書においても、我々の救い主は次のように言ったと書かれている。「私は、それらのことを諸々のたとえ話としてあなた方に語った。私があなた方にもはや諸々のたとえ話で語らなくなる時が来る[4]」。したがって、「賢者たち」よりも賢いのは、感覚的な蟻たちではなく、いわば諸々のたとえ話の類型の内に示されている者たちである。他の動物たちについても、同様に言われるべきである。しかしケスソスは、ユダヤ人たちとキリスト者たちとの諸々の巻き物を浅薄で単純極まりないものであると見なし、それらの巻き物を比喩的に解釈する人たちは、(それらの)執筆者たちの意図を捻じ曲げて解釈していると考えている[5]。以上によって、我々を空しく中傷するケルソスは反駁されたとしよう。また、蛇たちと鷲たちとに関して、それらの方が人間たちよりも賢いと言明する彼の議論が反駁されたとしよう[6]



[1] 直訳は、『諸々の諺』ないしは『諸々のたとえ話』である。

[2] Pr.30,24-28.

[3] 省略

[4] Jn.16,25.

[5] Cf.Contra Celsum,I,17; IV,38,51.

[6] 以上は、『ケルソスへの反論』第4巻第87節の後半からの抜粋である。前半は、本書の直前の節に抜粋されている。