20 そこで、もしも私がモーセに関して驚嘆した事柄が何か他にあるとすれば、実に次の点で彼は賞賛に値すると、私は表明したい。すなわち彼は、動物たちのさまざまな本性を知っており――動物たちに関する諸々の事柄や、それぞれの動物たちと相性のよい悪霊たちに関する諸々の事柄を、彼が神的なものから学んだ場合であれ、彼自身が知恵において向上し発見した場合であれ――、エジプト人たちや他の人たちの許で預言にかかわると見なされている動物たちを、動物たちの目録の中で不浄なものである述べ、また、そうでない動物たちを一般に清いものであると言っている。モーセの許では、狼と狐と蛇と鷲と鷹とそれらに類する動物たちが、不浄な動物たちの内にある[1]。一般に、律法においてばかりでなく、諸々の預言者においても、それらの動物が、諸々の最悪の事柄の例として取り上げられており[2]、狼や狐が有益な例として一度も名指されていないのを、あなたは見出すでしょう。したがって、悪霊たちのそれぞれの種には、動物たちの個々の種との何らかの共通性があるように見える。ちょうど人間たちの内で或る人たちが他の人たちよりも強力であるのと同じように――品行のゆえに強力であるとは決していえない[3]――、悪霊たちも、善悪無記の諸々の事柄において[4]、他の悪霊たちより有能である。実に、或る悪霊たちは、我々の言葉で「この世の[5]」支配者と呼ばれる者の意思に従って、人々を欺くために、あれこれの(特定の)動物たちを使う。他の悪霊たちは、他の種類(の動物たち)を通して(将来の諸々の事柄を)予示する[6]。あなたは、悪霊たちがどこまで忌まわしいかご覧ください。彼らの或る者たちによってイタチまで、将来の諸々の事柄を示すために使われているのである[7]。しかし、あなたは、次のいずれを受け入れるのがよりよいか、あなたご自身で判断してください。すなわち、万物に臨む神とその独り子が、鳥たちやその他の動物たちを占いへと動かしているのか、それとも、動物たちのあれこれ動かしている者たち――彼らは、たとえ人間たちがその場に居合わせているとしても、人間たちを動かしているわけではない――は、我々の諸々の聖文書が「穢れた[8]」と読んでいる卑しい悪霊たちなのか[9]



[1] Lv.11.

[2] Is.11,6; 6,25; Jr.5,6; Ez.13,4; 22,27; Ps.62,11; Ct.2,15.

[3] 倫理的な品行は、善悪に関係しても、強弱には関係しないというような意味であろう。

[4] 直訳は、「諸々の中間的な事柄において」である。ストア派の「アディアフォラ」と同等の意味で訳しておいた。

[5] Jn,12,31; 14,30;16,11; “CO.4,4.

[6] 悪霊を動物と結びつける考え方は、プラトンやヤンブリコスにも出てくるCf.Plato,Politicus, 271D,E.; Iamblichus, de Myst.II,7.

[7] 「スカンク」とも「いいずな」とも訳されうるが、いずれの辞書も、イタチ科に属すると説明されているので、ここでは「イタチ」と訳しておいた。原語は、gala/j (gale,hの複数対格)である。古代地中海世界では、それに遭遇すると災いを招く不吉な動物とされる:Cf.Aristophanes, Eccles.792; Theophrasutos, Charact.16.

[8] Eg.Mt.10,1; 12, 43.

[9] 本節は、『ケルソスへの反論』第4巻第93節全体の抜粋である。