22 しかし、本当に神的なものは、将来の諸々の事柄の覚知のために、非理性的な動物たちも、人間たちの誰彼も使わず、人間たちのもっとも真性でもっとも清い諸々の魂を使い、それらの魂に神霊を吹き込み、預言者とする。それゆえ、もしもモーセの律法の内に他の何ごとかが驚くべき仕方で語られているとすれば、まさに次の諸箇所を、その何ごとかの内に含めねばならない。「あなた方は、鳥占いをしてはならず、鳥伺いをしてはならない[1]」。他の箇所では、「実際、あなたの神である主があなたの面前で滅ぼしつくそうとするそれらの諸国民は、諸々の予言や託宣に耳を傾けるだろう。しかし、あなたの主は、あなたにそのようなことをお許しにならなかった[2]」。続けて、こう言っている:「あなたの神である主は、あなたのために、あなたの兄弟たちの中から預言者を立てるだろう[3]」と。神は、ある時、鳥占い師たちをとおして(民を)鳥占いからそらせようと望み、鳥占い師の口を通して、(ご自分の)霊に語らせている:「ヤコブには鳥占いは存在せず、イスラエルには託宣は存在しない。神が何を成し遂げるかは、然るべき時に、ヤコブとイスラエルに語られるだろう[4]」と。それらの言葉やそれらに類する言葉を知っている我々は、「あなたは、万全の注意を払って、あなたの心を守りなさい[5]」と、神秘的に言われている命令を遵守したいと思っている。それは、悪霊たちの誰かが我々の主導能力に憑依したり、敵対する霊たちの誰かが我々の想像力を思い通りの方向に差し向けたりしないようにするためである。我々は次のように祈っている。「我々の諸々の心の中で、神の栄光の覚知の光」が輝くように。神の霊が我々の想像力の許に訪れ、神に関する諸々の事柄を我々のために明らかにしてくださるように。実に、「神の霊によって導かれている人たちは皆、神の子らである[6]」。



[1] Lv.19,26.

[2] Dt.18,14.

[3] Dt.18,15.

[4] Nb.23,23.

[5] Pr.4,23.

[6] Rm.8,14. 本節は、『ケルソスへの反論』第4巻第95節全体の抜粋である。