モーセによると、神的な言葉も、最初の人々は神的な声と諸々のお告げを聞き、また時には、神のみ使いたちの訪れが彼らに対して為されたのを見たと述べている。実際、世の初めにおいて、人間たちの本性が(動物たちに)勝って助けられたのは理にかなっている。知性とその他の諸徳と諸々の技術の発見とへの進歩が為されて、人間たちが自分たち自身で生活できるようになるまで、神の意志に使えるみ使いたちが不可思議な仕方で現れては、彼らを絶えず保護し、管理していた。これらによって、(世の)始めにおいて人間たちが獣たちによって連れ去られて食われ、他方で、獣たちが人間たちによって捕らえられることは少しもなかったというのが判明する。

 以上のことから、ケルソスによって次のように言われていることが偽りなのは明らかである。すなわち、「こうして神は、むしろ人間たちを動物たちの下位に置いた」と。実際、神は、人間たちを獣たちの下位に置いたのではない。むしろ神は、人間たちの知性と、またその知性によって獣たちに対抗するための諸々の技術とによって、獣たちが捕らえられるのをお許しになった。実に、人間たちは、神の助けなしに、自分たちだけで、獣たちからの安全と獣たちに対する支配を工夫したのではない[1]



[1]本節は、『ケルソスへの反論』第4巻80節全体の抜粋である。