12 したがって、放置される者は神的な判断によって放置される。しかし神は、罪を犯した者たちの幾人かに対して理不尽に寛大になっているのではない。救いのために迅速な力添えを得るのではなく、多くの諸悪を体験した後ゆっくりと救いに導かれることは、魂の不死性と永遠の代に鑑みて、彼らには益している。医者たちも、或る人を一層迅速に治療することができるのだが、諸々の身体に関わる毒が隠れて存在すると憶測したとき、治療することとは反対のことに取り掛かる。医者たちは、いっそう確実に治療しようと望み、そのようにする。医者たちは、或る人がいっそう確実に健康を取り戻すには、その人を多くの時間にわたって炎症と病の内に留めておく方が――その人が一層迅速に元気になったように見えても、後になって(病気が)再発し、一層迅速な治療が一時的なものになるより――よいと考えている。それと同じように、心の諸々の隠された事柄を知り、将来の諸々の事柄を予知している神も、おそらく寛大さによって(悪の存続を)許し、外来の諸々の出来事を通じて隠れた所に潜む悪を引き出す――怠惰によって罪の諸々の種子を受け容れた人を清めるために。それは、その人が表に出た諸悪を吐き出し、――たとえ人が諸悪の内に長い時間いたとしても――後に悪の後の浄化を得、原初の状態に戻ることができるようにするためである。実に神は、地上の生活のいわば五十年ほどのためでなく、永遠の代のために諸々の魂を配慮する。なぜなら神は、ご自分の類縁である知的本性を不滅のものとして造ったからである。理性的な魂が、地上の生活の場合のように治療から切り離されることはない。