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諸々の理性的あるいは人間的魂の地上での分散――それは塔の建設とそれに対する諸々の言語の混乱から密かに示されている――とは何であるか。そこでは、散らされた者たちのの状態に応じて、彼らの上に配置された多くの支配者たちに関しても(話題にされている)。『ケルソスへの反論』第5巻から[1]

 ケルソスの次の発言も、我々は考察することにしよう。それは、こうなっている:「ユダヤ人たちは、たしかに独自の民族となり、その民族の流儀に従って諸々の法律を定め、それらを彼ら自身の間で今も維持し、どのようなものあれ伝統的な宗教行事を守り、他の人たちと同じような諸々の事柄を行なっている。なぜならそれぞれの人々が、どのように確立されたものであれ、諸々の伝統的な事柄に携わっているからである。そのようになったのは、次のような理由によると思われる。すなわち、他の人々には他の仕方で(慣習法を)制定することが思い浮かび、しかも公共のために裁可された諸々の事柄を遵守しなければならないからである。そればかりか、おそらく地上の諸部分は、初めから、それぞれ別の監督者たちに割り当てられ、それぞれの支配下に分割され、そのようにして管理されているからである。それゆえ、それぞれの監督者たちの許にある諸々の事柄は、監督者たちに好まれる仕方で行なわれれば、正しく行なわれることになろう。それに対し、それぞれの場所で初めから制定された諸々の事柄を無効にするのは、敬虔なことではない」。それらの言葉の中でケルソスは、かつてエジプト人であったユダヤ人たちが[2]、後に独自の民族となり、諸々の法律を定め、それらを維持していることを明らかにしている。(ここに)引用されたケルソスの諸々の発言を反復せずに言うと、彼は、諸々の(伝統的で)固有な事柄に携わる他の諸民族と同様に、諸々の伝統的な宗教行事を行なうことが彼らに生じたと言っている。また、彼は、諸々の伝統的な事柄に携わることがユダヤ人たちに生じたことについて、さらに或る深い原因を明らかにしている――法律を与えられる人たちの大地を監督する地位を得た者たちは、法律制定者たちに協力して、それぞれの(民族の)諸々の法律を定めたことを暗示することによって。したがって彼は、次のことを表明しているように見える。すなわち、ユダヤ人たちの国土も、その国土にいる民族も、或る者ないしは或る者たちが監督しており、彼あるいは彼らがモーセに協力することによって、ユダヤ人たちの諸々の法律が定められたと[3]



[1] 本章は、『ケルソスへの反論』第5巻第2532節および第35節からの抜粋である。

[2] Cf.C.Cels.,III,5s.

[3] 本節は、『ケルソスへの反論』第5巻第25節全体の抜粋である。