(上に)引用されたケルソスの諸々の発言に対しては、一層の単純さと平明さを旨としつつ我々によって述べられたことで充分である。しかし、一層の探究心に富んだ人たちの中の幾人かは本書を読むと、当然、我々は思っている。そこで我々は、より深遠な諸々の事柄の若干を、危険を冒して提示することにする――それらの若干の事柄は、地上の諸々の地所が、初めから、それぞれ別の監督者たちに割り当てられたことに関するある神秘的で言語を絶した省察を含んでいる。さらに我々は、(我々の)教えが、上で述べられた数々の不条理を免れていることを力の限りを尽くして証明しよう[1]

 ケルソスは、地上の諸々の場所の分割に関する神秘的な説明の幾つかを聞き違えているように私には思える。ところで、ギリシアの物語も、それらの神秘的な説明に何らかの仕方で言及し、アッティカを巡って互いに争ういわゆる神々の幾つかを導入し、神々と言われている者たちの幾つかをして、詩人たちの(作品の)許で、幾つかの場所は自分たちに一層親密なものであると告白させている。夷狄の物語も、特にエジプト人たちの物語が、エジプト人たちの諸々の行政区と言われているものの分割に関して、それに類するような諸々の事柄を表明し、サイスを獲得したアテーナは、アッティカをも自分のものとしたと言っている[2]。エジプト人たちの編年史家たちも、それに類する無数の事柄を語ることだろ。ただし彼らが、ユダヤ人たちと彼らの国土とを、何らか()への割り当てにおいて、考え合わせていたかどうかを私は知らない[3]



[1] この段落は、『ケルソスへの反論』第5巻第28節の後半の抜粋である。

[2] Cf.Herototos, II, 62; Platon, Tim.21e etc.

[3] 以上は、『ケルソスへの反論』第5巻第28節の後半と同巻第29節前半からの抜粋である。その第29節の後半は、次節で抜粋される。