18 ところで、次のことを示す理論が報告されている:黄道球は、諸惑星と同様に、西から東へと百年に一度ずつ動かされる。そして、そのことは長い時間を掛けて、黄道十二宮の位地を変える。可知的な黄道帯と、その言うなれば外見とはそれぞれ異なる。彼らは、(天体からの)諸々の影響は、外見からではなく、可知的な形姿から見出されると言う。これは、まったく把握され得ない。

ともあれ、そのことも同意されたとしよう:すなわち、可知的な黄道帯は把握される、あるいは、可感的な黄道帯から真の黄道帯が把握され得るとしよう。しかし、彼らの間で呼ばれている特定の諸々の布置の内にある諸天体の蝕を適切に説明することができないことを、彼ら自身も認めている。たとえば、いっそう不吉であることが明らかな天体が(他の)特定の天体によって――すなわち(他の)特定のいっそう優れた天体によって凝視されるがゆえに――然々の程度に蝕される。逆に、いっそう優れた天体の凝視によるいっそう不吉な天体の蝕が、数々のいっそうふいきつな事柄をのしるしとなっている他の天体の布置によって、しばしば妨げられる。

それらの問題に精通する人は、それらの天体に関する把握を諦めると、私は思う。なぜならその把握は人間たちには決して明らかにならず、(それらの天体が)しるされるところまでにしか行き着かないからである。もしも人が実際の諸々の事柄を体験するなら、その人は、(占星術の)語り手たちや書き手たち自身の推測のいわゆる成功よりも、むしろその誤りを知るだろう。イザヤも、それらの事柄は人間たちによって見出され得ないかのように、それらの事柄を誰よりも自負しているカルデア人たちの娘に向かって言っている:「天の星占いたちを立ち上がらせ、あなたを救わせてみなさい。あなたに何が起こるかを、彼らに告げさせなさい[1]」と。それらの言葉を通して、それらの事柄に関して熟知しきった学識愛好者たちでも、主がそれぞれの国民にどのような事柄を引き起こそうと望んでいるかをあらかじめ示すことができないのを、我々は教えられる。



[1] Is.47,13.