19 差し当たり我々は、言葉どおりに預言(の言葉)を受け取った。しかし、もしもヤコブが天の諸々の板の中に、彼の息子たちに起こるであろう数々の事柄を読んだと言うのなら、そして、もしも或る人がその点において我々に、我々が述べたこととは反対の諸々の事柄が()文書によって明らかにされていると反論するのであれば――すなわち、人間は諸々のしるしを把握できないと我々は言ったのに、ヤコブは、天の諸々の板の中に読んだと言っている――、我々は、次のように弁明しよう:我々が言うところの賢者たちは、言語を絶した諸々の事柄を、人間的本性を超えた霊を使って、人間的にではなく神的に学んだ。それは、パウロが次のように言っているとおりである:「私は、人間が語ることのできない諸々の言い表し得ない言葉を聞いた[1]」。実に彼らが、「諸々の至点の変遷と諸々の時節の変化、諸々の年の循環、諸々の天体の配置[2]」を知ったのは、人間たちからでも、人間たちを通してでもなく、霊が彼らに清浄に――つまり、神が諸々の神的な事柄を告げようと望んだとおりに――啓示したからである。さらにヤコブは、(普通の)人間の在り方を超えていた。なぜなら彼は、自分の兄に取って代わり、我々が「私は、天の諸々の板の中に読んだ」という言葉を引用した同じ書物の中で、(自分は)主の力の千人隊長であると告白しており、かつてイスラエルという名を得たからである。彼は、それを、身体の中で仕えているときに認識した――大天使ウリエルが彼に思い起こさせることによって。



[1] 2Co.12,4.

[2] Sg.7,18-19.