ともかく神が、将来の諸々の事柄の一つひとつを遥か前から知っていることは、聖書によらずとも、神の精神の能力の相応しさを理解する人にとって、神に関する観念から直ちに明らかである。しかし、もしも諸文書からそのことを示す必要があるなら、諸々の預言がそれらの範例に満ちている。たとえばスザンナによれば、神は、すべての事柄をそれらの発生以前に知っている。彼女は言う:「永遠なる神、諸々の隠された事柄の識者、すべての事柄をそれらの発生以前にご存知の方、あなたは彼らが私に対して偽りを証言したことを知っています[1]」。また、『列王記』第三巻の中に、実に将来の王の名前と諸々の行いが、預言された諸々の事柄が起こる何年も前に、極めて明瞭に書き記されている。次のようにある:「そしてヤロブアムは、ユダの地における祭に従って第八の月の十五日に祭を行った。彼は、自分の作った子羊たちのためにベテルに作った祭壇に登った[2]」。少し後の箇所で、「見よ。神の人が、主の言葉に従ってユダからベテルにやって来た。そして、ヤロブアムは生け贄を捧げるために祭壇の傍らに立っていた。そして彼は、主の言葉に従って祭壇に呼びかけた:『祭壇よ、祭壇よ。主が次のように言われる:《見よ。男の子がダビデの家に産まれる。ヨシアが彼の名前である。彼は、お前のために生け贄を捧げる諸々の高台の祭司たちをお前のために生け贄として捧げ、お前のために人間たちの諸々の骨を焼く》。』そして彼は、その日、印を与えた。彼は言う:『これが主が語った印である。主は言う:《見よ。祭壇が壊れ、その上にある脂肪がこぼれるだろう》』[3]」。また少し後の箇所で、次のことが明示されている:「そして、神の人が主の言葉に従って与えた印どおり、祭壇は壊れ、祭壇から脂肪がこぼれた[4]」。



[1] Suz.42-43.

[2] 1R.12,32.

[3] 1R.13,1-3.

[4] 1R.13,5.