また、バビロニアへの捕囚のはるか前にいたイザヤ(の預言)にも――その捕囚の後に、キュロスが当時のペルシア人たちの王となり、神殿の建設に協力し、それはエズラの時代に出来上がった――、キュロスの名を挙げて、彼について次のように預言されている:「主なる神は、油が注がれた私のキュロス――私は、彼の右手を掌握し、諸国の民を彼に従わせた――に次のように言う:『私は、王たちの力を粉砕する。私は、彼の前で諸々の扉を開く。諸都市が閉ざされることはない。私は彼の前を先に歩き、諸々の山を平らにする。私は、諸々の青銅の扉を砕き、諸々の鉄の閂を折る。そして私は、闇の中に置かれた数々の秘密の宝をあなたに与える。私は不可視的なそれらの宝をあなたに開く。こうしてあなたは、私が主なる神、あなたの名前を呼んだイスラエルの神であることを知る。私の僕ヤコブと私が選んだイスラエルのゆえに、私はあなたをあなたの名で呼び、あなたを受け入れる』と[1]」。それらの言葉からも、次のことが明らかに示されている。すなわち、キュロスが恩恵を施した民のために、神は、ヘブライ人たちの間の敬神を知らなかった彼に、数多くの諸国の民を支配することを許した。そしてそれらのことを、預言されたキュロスに関する諸々の事柄を書き記したギリシア人たちからも学ぶことができる。

 『ダニエル記』にも、バビロニア人たちが君臨していたとき、ネブカドネツァルに、彼の後の将来の諸々の王朝が示されている。しかし、像を通して示されている:バビロニア人たちの帝国は金と名づけられ、ペルシア人たちのは銀、マケドニア人たちのは青銅、ローマ人たちのは鉄と名づけられている[2]。さらに同じ預言者の内で、ダレイオス、アレクサンドロス、マケドニア人たちの王であるアレクサンドロスの四人の後継者たち、エジプトを支配するプトレマイオス――彼は、ラゴスとあだ名されている――を巡る諸々の事柄に関しても、次のように預言されている:「見よ。山羊たちの牡山羊が南西から全地の表の上を通って来た。その山羊の両目の間に角があった。牡山羊は、諸々の角を持つ雄羊――私はその雄羊がウバルの前に立っているのを見た――に向かっていき、全力でその雄羊のところに走っていった。私は牡山羊がその雄羊のところに着くのを見た。牡山羊は、雄羊に向かって猛り狂った。牡山羊は雄羊を打ち、その二つの角を砕いた。雄羊には、牡山羊の前に立つ力はなかった。牡山羊は雄羊を地に倒し、雄羊を踏みつけた。その雄羊を牡山羊の手から引き離すものはいなかった。山羊たちの牡山羊は、甚だしく尊大になった。牡山羊が強大になったとき、その大きな角は砕かれ、他の四つの角が牡山羊の下から天の四つの風の方角に昇った。そして一つの角から、強い一本の角が出て、南と東に向かって著しく大きくなった[3]」。

 キリストに関する諸々の預言は何であるというべきか。たとえば、彼の誕生の場所ベツレヘム、彼の養育の場所ナザレ、エジプトへの避難、彼が行った驚異的な事柄の数々、使徒に召されたユダによってどのようにして裏切られたか。それらの事柄はすべて、神の予知の諸々の印である。そればかりか、救い主ご自身も次のように言っている:「もしも、エルサレムが諸々の陣営によって囲まれるのを見たなら、そのときあなた方は、その荒廃が切迫したことを知るだろう[4]」と。実際、彼は、エルサレムの陥落という後に起こった宗教を予言したのである。



[1] Is.45,1-4.

[2] Cf.Dn.2,31-40.

[3] Dn.8,5-9.

[4] Lc.21,20.