さて、我々は、神が予知する方であることを証明したので、どのようにして諸々の天体が諸々の印になるのかを述べるために、次のことを理解すべきだとするのは折り悪しいことではない。すなわち、個々の事柄に関するすべての出来事や一般的な出来事の諸々の印が諸天体の布置から集められ知られるような仕方で、諸々の天体は――惑星と呼ばれる諸天体が諸恒星と反対の方向に運行することによって――動くように配置されているということである。ただしそれらの印を知るのは、人間たちではなく――諸天体の動きから、個々の事柄に関して、それらが一体何を働くか、あるいは何を被るかということを真理に即して把握することができるのは、人間の力をはるかに超えているからである――、諸々の力である。彼らは、続く箇所で我々が力を尽くして示すように、それらの事柄を、多くの理由で知っているにちがいない。

ところが人間たちは、それらの(天体の)諸々の観察によって惑わされ、あるいは――みずからの地位から逸脱し、我々人類を苦しめるために、それらに関して何らかの事柄を教唆した――み使いたちの教えによって惑わされ、(人間たちが)諸々の印を取り出したと考えている諸天体が――み言葉によれば諸天体が印となって指示している――諸々の事柄の原因であると考えてしまった。まさにそれらの事柄について、我々は直ちに、いわば要約の形で、しかし可能な限り注意して取り上げてみる[1]

さて、次の諸問題が提起されよう。

1.        神が代の(始まる)前から、各人によってなされると思われている諸々の事柄について予知しているなら、どうして我々の自由意志が保たれるのか。

2.        次に、どのような仕方で諸々の天体は、人間たちにおける諸々の事柄の作用因ではなく、印にすぎないのか。

3.        次に、人間たちはそれらの事柄に関する覚知を正確に得ることはできないが、人間たちよりも優れた諸々の力には、それらの印があらわになっていること。

諸々の力が覚知するように神がそれらの印を作った理由が、第四に吟味されねばならない。



[1] 原文には関係詞が多数介在し、日本語にしにくいといよりも、原文それ自体としても典型的な文語体である。これは、オリゲネスの初期の作品によく見られる特徴である。もちろん読みにくいのは承知で、敢えて直訳した。正確な意味を探りたい者は、原文にあたってもらいたい。