さて、あなたは、無性質の質料――この質料から神は、この世界の創造を行った――が神とともに実在すると言うつもりですか。

そのように私には思える。

では、もしも質料が無性質であり、世界は神によって造られ、世界の内に諸々の性質があるとすれば、神は、諸々の性質の製作者になった。

そのとおり。

あなたはかつて、何らかのものが諸々の存在しないものから生じるのは不可能であるともあなたが言っていたのを、私は聞いた。そこで、私の質問に答えていただきたい。世界の諸性質は、基底にある諸性質から生じたのではないとあなたには思われるか。

そう思われる。

それらは、諸々の実体とも何かしら違ったものであると(思われるか)

そのとおり。

したがって、もしも神が基底にある諸性質から諸性質を作ったのでもなく、諸々の実体から作ったのでもない――それら(の諸性質)は、諸実体でもない――とすれば、それらは、神によって諸々の存在しないものから生じたと言うのが必然である。そのようなわけであなたは、何らかのものが諸々の存在しないものから神によって生じたと考えるのは不可能であると言って間違った、と私には思われる。しかし、その点に関して、次の議論があるとしよう。すなわち我々の許で人間たちが、諸々の存在しないものから何らかのものを作るのを我々は眼にする――たとえ彼らが何らかものを使って作るように見えても――。たとえば我々は、建築家たちにから例を取ってみよう。すなわち彼らは、諸々の町を諸々の町から作るのではなく、同じく諸々の神殿を諸々の神殿から作るのでもない。もしもあなたが、それら(の建造物)の基底に諸々の実体が横たわっているのであるから、彼らは諸々の存在するものからそれらを作ると考えるなら、あなたは推論において間違っている。なぜなら実体は、町を作るものではなく、いわんや諸々の神殿を作るものでもない。むしろ、実体に関わる技術である。ところで技術は、諸々の実体の内に基体として横たわる何らかの技術から生じるのでなく、それら(の実体)の内に存在しない技術から生じる。しかしあなたは、次のような言葉で私に対応するだろうと思われる:すなわち技術者は、実体の内にある技術を自分が持っている技術から作ると。それに対して次のことが言われるのがよいと私には思われる:すなわちそれは、人間の内で、基体として横たわる何らかの技術から生じるのではないと。実際、技術がそれ自身で存在すると措定することは不可能である。それは、諸々の偶有的なものに属しており、実体の内で生じるときに存在を取る諸々のものに属している。実に人間は、建築術がなくても存在するだろう。しかし建築術は、あらかじめ人間が存在しなければ、存在しないだろう。このことから、諸々の技術は諸々の存在しないものから人間たちの内に生じる本性を持っていると言わねばならない。このようなわけで、我々が人間たちの場合には事情がそのとおりであることを示したのであれば、神は諸々の性質ばかりでなく、諸々の実体を、諸々の存在しないものから造ることができると主張するのはどうして適切でないだろうか。実に、何らかのものが諸々の存在しないものから生じると主張することができるのだから、諸々の実体もそのとおりであることが示されるのである。