親愛なる友人よ、あなたは、同僚に対する議論を十分に行ったように私に見える。つまり、彼が議論において先取りしていた諸々の事柄から、見事に(結論を)推論したように見える。実際、もしも質料が無性質であり、神が諸性質の造物主であるとすれば、諸々の悪が諸性質なら、神は本当に諸悪の製作者になってしまうだろう。したがって、彼に対するこの議論は見事に言われたとしよう。しかし、質料が無性質であると言うことは、誤りであると私には思われる。実際、いかなる実体についても、それが無性質であると言うことはできない。なぜなら、人が(それはが)無性質であると言うことによって、その人は、その性質を開示し、質料がどのようなものであるか、性質の種は何であるかを素描しているからである。そこで、もしもよろしければ、どうか議論の始めに戻っていただきたい。質料は、始めなき仕方で諸性質を持っているように私には見える。そのような意味で私は、諸悪も、質料の流出に由来すると言いたい。こうすることによって、神は諸悪の原因ではなく、質料がそれらすべての原因となる。

 親愛なる人よ、私はあなたの意欲を認め、諸々の議論におけるあなたの熱意を賞賛する。学識愛好者たちの各々が、語られた数々の事柄を単純にかつ気まぐれに同意せず、諸々の議論の厳密は検討を行うことは、真に適切である。実際、相手の探求者が理に反する定義をして、自分の望みどおりに推論する機会を話し相手に提供するなら、それは聞き手を納得させないだろう。しかし、何ごとかを立派に語ることができると思うなら、彼はそれを語るだろう。それゆえ、二つに一つだろう。すなわち、(心を)動かされるように見える事柄に耳を傾けて完全に益されるか、話し相手を論駁して彼の語っていることは真実でないと言うかのいずれかだろう。

 で、あなたは、質料は始めから諸々の性質を持っていると言ったが、然るべく言っていると私には思われない。というのは、もしもそのとおりなら、神は何の製作者になるだろうか。もしも我々が(神は)実体の(製作者である)と言うなら、それは先に存在するという。逆に、(神は)書性質の(製作者である)と言うなら、諸性質は実在すると(我々は言う)。してみると、諸実体が存在し、諸性質も存在するわけであるから、神は造物主であると言うのは余計なことであると私には思われる。しかし、私が何らかの議論を私自身のために披露していると思われないために、次の質問に答えていただきたい:どのような仕方で神は造物主であるとあなたは言うかと。諸実体を変化させて、そのとき存在していた諸実体がもはや実在しなくなり、それらと異なる諸実体が生じるようにするという仕方でか、それとも、諸実体は、変化する前の諸実体のまま保持して、それらの諸性質を変化させるという仕方でか。