では、神が諸々の邪悪な事柄の諸性質をそのまま放置したことを、あなたはどのように説明するか。それらの諸性質を除去することができたのに、彼は望まなかったのか。それとも、その能力を持っていないのか。もしもあなたが、彼はできたが、望まなかったと言うなら、彼がそれらの原因であると言わなければならない。なぜなら、諸悪を存在させないことができたのに、それらを在りのままに――しかも彼が質料を創造し始めたときのまさにその状態で――存続するのを許容したからである。実際、もしも彼が質料にまったく関心を持たなかったとすれば、彼は、存続することを許容した諸々の事柄の責任は持たなかっただろう。しかし彼は、質料の一部を創造し、他の一部を――それら(の諸悪)を善い方に変えることができたのに――そのように放置したのであるから、責任を負うに値すると私には思われる。なぜなら彼は、質料の一部を邪悪なまま放置したからである――彼が創造した他の一部に害があるのを承知で。そればかりか、彼は何よりもその(他の)部分に対して害を与えたと私に思われる。なぜなら彼が備えた質料のその部分が、諸悪に由来する現在の諸々の被害を受けたからである。実際、もしも人が、それらの諸問題を精確に検討するなら、その人は、質料が以前の無秩序よりもひどい事柄を現在被っているのを見出すだろう。なぜなら質料が二分される以前は、諸悪を感知しないことも質料には可能だった。ところが今、質料の諸部分のぞれぞれは、諸悪を感知するに至っている。人間について例を挙げてみたい。造物主の技術によって形成され生き物に成る以前は、(人間は)諸悪を何一つ自然から受け取らないでいることができた。しかし、神によって人間に成って以来、(人間は)近づいてくる悪の感覚を得た。しかも、質料の善益のために神によって造られたとあなたが主張しているものが、むしろその質料にとって一層ひどい害悪に成ることが見出される。他方、神は諸悪を除去できなかったがゆえに、諸悪は途絶えることはないとあなたが主張するのなら、神は無能であるとあなたは言うことになろう。無能であるというのは、彼が本性的に脆弱であることによってか、あるいは、恐怖に動かされ、より強い何ものかに隷属すことによってであろう。もしもあなたが、神は本性的に脆弱であると敢えて言うなら、あなたは、救いそのものに関して危険を冒しているよう私には見える。それに対し、(神が)一層強大なものへの恐怖に動かされるなら、諸悪は神よりも強大になるだろう。なぜならそれらは、彼の選択的意志の動きに勝つからである。しかし、そのようなことを神に関して言うのは馬鹿げていると私に思われる。あなたの説明によればそれらは神に勝つことができるのだから、いったいどうして、それらがむしろ神々にならないだろうか――私たちが、ありとあらゆるものに対する権能を持っているものを神と言うのであれば。