ある人たちは、実に()文書にしたがって、諸々の善には三種類あり、諸々の悪には三種類あると、同じように考えるだろう[1]。彼らは――徳と悪徳とそれらに即した諸々の行為において我々によっても同意された諸々の事柄に従って――諸々の徳と諸々の悪徳は(それぞれ)善と悪であると認めつつ、(聖文書の)諸々の言葉を利用して、諸々の身体的な事柄と諸々の外的な事柄もまた、(それぞれ)善または悪であると主張するだろう。しかし、諸々の徳と諸々の悪徳について、何を言うべきか。すでに道徳的な諸々の教説が、正義と分別と思慮とそれらに即した諸々の行為を選択し、それらに反する諸々の事柄を退けるべきことを我々に教えている[2]。それゆえ、諸々の選択意志的な事柄に由来する諸々の善に関する諸々の具体例は必要ない。

 彼らは、諸々の身体的な善と諸々の外的な善を、(聖文書の)多くの箇所からの言葉どおりの受容によって示すだろう[3]。しかし、今のところ、『出エジプト記』と『レビ記』と『申命記』の中にある諸々の言葉から若干を引用するだけで十分である。それらは、諸々の掟を守る人たちに対しする約束と、それらを破る者たちに対して威嚇と諸々の呪いに関わっている。たとえば、健康は善であり、病気は悪であるといった諸々の事柄は、『出エジプト記』から導かれるとことを(彼らは)示すだろう:「もろもあなたが、私の諸々の掟と私の諸々の命令を守るなら、私がエジプト人たちにもたらした一切の病気を、私はあなたにもたらさないだろう。なぜなら私は、あなたを治療する主だからである[4]」。罪を犯した人たちに対し、『申命記』から言われたことは、諸々の身体的な傷と諸々の病気は悪であり、他方、健康と身体の力はすなわち善であることを証明していると推測できるだろう。その言い方は次のとおりである:「もしもあなたが、この巻き物に書かれたこの律法の諸々の言葉を行うために聞かず、この誉れ高く恐るべき御名、神なる主を畏れないならば、主はあなたの諸々の傷とあなたの種の諸々の傷、恐るべき大きな諸々の傷、数多くの悪しき病を尋常ならざる仕方で下すだろう。そして私は、あなたがエジプト人たちの面前で起こったのを知っているエジプト人たちの悪しき一切の傷をあなたに向かわせるだろう。それは、あなたにまとい付くだろう。そして、この律法の巻き物の中に書かれていないすべての脆弱さとすべての傷を、主はあなたにもたらし、あなたを滅ぼし尽くすだろう[5]」。さらに、諸々の掟を破る人たちに次のことが言われている:「私はあなたに、あなた方の諸々の目を壊疽させ、あなた方の魂を溶かす高熱と黄疸をあなたに送るだろう[6]」。それらに加えて、さらに、『申命記』の中でも、敬神から離反した人たちに対して、み言葉は、不治の反転病[7]で脅している[8]



[1] 前節に紹介されたペリパトス派の人たちが考えるのと同様にという意味である。

[2] プラトンも同様の見解を表明している。

[3] 言うまでもなく、直訳である。意味は推察できるだろう。

[4] Ex.15,26.

[5] Dt.28,58-61.

[6] Lv.26,16.

[7] ギリシア語の辞書によると、首や背が後ろに弓なりに萎縮してしまう病気。定訳があるのかどうか、訳者は知らない。

[8] Cf. Dt.32,24.