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もっと後の箇所で[1]

11 こうして、民に混じり同行したエジプト人たちに対してと同じように[2]、受け入れ信じる人たち対して起こった諸々の不思議は、憐れみだった。しかし、信じない人たちに対して、(それらの不思議は)彼らの諸々の心に固さをもたらした。 (いま)述べられた諸々の事柄に加えて、福音からも、同じような事柄を引用することができる。そこでは、救い主が、或る人たちに起こった諸悪の原因であると思われている:「コラジン、あなたは不幸だ。ベトサイダ、あなたは不幸だ。あなた方の中で起こった諸々のしるしが、ティルスやシドンで行われたら、彼らはとうの昔に粗布と灰の内に座り、悔い改めただろう。しかし、私はあなた方に言う:あなた方よりも、ティルスとシドンの方にもっと我慢しうる事態があるだろう。カファルナウム、あなたは・・・[3]」云々。実に救い主は、コラジンにいる人たちとベトサイダにいる人たちとカファルナウムにいる人たちの不信仰の予知者として、裁きの日に、それらの人たちによりも、ソドムの人たちの土地の方にもっと我慢しうることが起こると予知していた。そうであれば、なぜ彼は、数々の不思議をコラジンとベトサイダの内で成し遂げたのか――もしも彼が、それら(のしるし)によって裁きの日に、彼らに対してよりも、ティロスの人たちとシドンの人たちの方に、我慢しうることが起きると知っていたとすれば[4]



[1] 『出エジプト記』(7,1-5)に関する評注であると思われる。

[2] Cf.Ex.12,38.

[3] Lc.10,13-15.

[4] 問題提起で終わっているが、もちろん、その答えは、「神の憐れみ」である。

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